岸見 何かの問題について、悩むのをやめるときって、決断するときですからね。例えばある男性が、AさんとBさん、二人の女性を好きになってしまって、二人から「はっきりしてよ」と迫られたとします。男性は悩みますが、悩んでいる限り、どちらか一人と付き合う、という決断はしなくていい。
吉田 たしかにそうですね。
岸見 その仕組みがわかれば、人生はシンプルに過ごせます。僕もカウンセリングのなかで、何かの決断を迫るときがあります。そのときは必ず、「今すぐ決めますか。それとも明日にしますか。1ヵ月後にしますか」と聞きます。
吉田 1ヵ月後であれ、明日であれ、今すぐであれ、同じだよ、ということでしょうか。
岸見 そうです。結局、問題について「決めたくない」と本人は思っているから、時期は関係ないのです。しかし問題に対する「深刻さ」を落とせば、今すぐにでも決められるようになる。だからこそ、深刻であること、悩むことをやめるのが大切になるのです。
吉田 今の話を聞いて、思い出したことがあります。去年、心理学の本をたくさん出されている加藤諦三先生と対談したときに聞いた話なんですが、アメリカの刑務所で死刑囚に「一番怖いと思うことはなにか」とインタビューしたそうなんです。その答えは、「自分の人生に意味がなかった」と感じることなんですって。死んでしまうことや、死刑のときに痛みを感じることよりも、自分の人生に意味がないと気づくほうが、怖い。
岸見 ええ、わかる気がします。
吉田 そう考えると、深刻になったり、悩んでいるときって、自分の人生には大層な意味があるような感じがしますよね。
岸見 それは「感じ」でしかないですけれどね。何か意味あることを、しているような気がするだけだと思います。
吉田 気がするだけですか!
岸見 以前、子どもさんが学校に行かなくなって、すごく困っている母親がカウンセリングに来られたことがあります。この世の終わりのような顔をして、すごく深刻な様子でした。
その人に、僕はこう言ったんです。
「でも、いくら悩んだところで、学校に行かないと決めているのは、子どもさんです。あなたが悩むことで子どもさんが学校に行くなら、悩みには意味がある。でも悩んだところで、お子さんは学校には行きませんよね。それなら、悩むのをやめませんか」
吉田 はい。
岸見 多くの場合、悩む人には「他の人に同情してほしい」という目的があるのです。この母親の場合なら、「子どもが学校に行かなくてたいへんだね」と言ってほしい。母親はカウンセリングで「私が悩んでも意味が無いんだ」と気づいた。すると、最初は髪を振り乱して深刻な顔をしていたのが、日に日に若々しく、元気に、きれいになっていったのです。
吉田 悩まなくなったからですよね?
岸見 そうです。世間は「あのお母さん、子どもが不登校なのになんで元気なのかしら」と、後ろ指を指すかもしれません。でも、子どもと仲良くなりたいのに、親が深刻でいるのは得策ではないですね。不登校の子どもたちって、みんな優しいんですよ。自分のために親が悩んでいることが、嫌で悲しいのです。親が「世間の目を気にして深刻になるか」、それとも「子どもに嫌な気分を与えないよう元気になるか」。どちらがいいか、自明ですね。
吉田 そのとおりですね。
岸見 だから「世間から嫌われることを恐れずに、子どもと仲良くなりましょう」というのがアドラーの教えになります。人生の問題と向き合うときに、深刻さとか悩みはいらないのです。
吉田 だから「嫌われる勇気」なんですね。