安倍首相の再登場以前から、日本の歴代政権は繰り返し行われる選挙に苦しめられてきたといえる。ここからは、まず2006年9月の小泉純一郎政権退陣後、さまざまな政権が選挙に苦しんだ歴史を振り返ってみたい。

 現在選挙に三連勝中の安倍首相こそ、第一次政権時には、選挙で最も酷いダメージを受けた首相である。第一次安倍政権は、「争点隠し」を繰り返す第二次政権とはまったく違っていた。「戦後レジームからの脱却」をスローガンに、歴代自民党政権が成し遂げられなかった「教育基本法改正」「防衛庁の省昇格」「国民投票法」など「やりたい政策」実現に突き進んだのである。だが、一方で、「消えた年金」問題、閣僚の不祥事・失言など、さまざまな問題の噴出で支持率が急落した(第101回)

 そして、わずか政権発足10ヵ月目に迎えたのが、2007年7月の参院選だった。安倍政権は歴史的大惨敗を喫した。敗因は、一言でいえば、政権運営の稚拙さにあっただろう。だが、安倍首相が強行採決を乱発して実現しようとした数々の政策の是非が、国民の審判を受けたわけではなかった。第一次安倍政権は、わずか365日で崩壊した。政策の評価を受けるには、あまりにも短命であった。

日本の政権と選挙(2):
支持率低迷に悩みながら、消費増税と福祉目的税化に
道筋をつけた福田・麻生政権

 2007年9月、第一次安倍政権の後継となった福田康夫政権は、参院選大惨敗による「ねじれ国会」の運営に苦心惨憺となった。小沢一郎民主党代表(当時)との「大連立」交渉に失敗した後は、「日銀総裁人事」など、参院での野党・民主党の徹底的な抵抗姿勢で立ち往生してしまい、国民からの支持を失った。福田首相は、支持率を上昇させて、9月に予定された自民党総裁選、その後の衆院選を乗り切るために、内閣改造と自民党執行部人事を断行したがうまくいかず退陣した。福田政権も約1年の短命政権となった(前連載第5回)

 自民党総裁選で勝利し、後継となった麻生太郎首相は、まさに「選挙に勝つこと」を期待されていた。マンガ好きを公言し、ネットを中心に若者に人気が高いとされていたからだ。ところが、首相就任直後に支持率50%を超え、解散総選挙の絶好の機会と思われた時に、リーマンショックが起こった。麻生政権は、解散総選挙よりも金融危機への対応を優先せざるを得なくなった。ところが、そのうちに麻生首相の「失言」が度重なり、内閣支持率が急落することになってしまった。

 そこで、麻生首相は予算総額15.4兆円の補正予算案を提示した。一般会計予算88兆円と合わせると、史上最高の103.4兆円にも達する大規模予算であった(前連載第22回)。衆院選が迫り、なんとか支持率回復を図ろうとしたのだったが、効果はなかった。麻生首相は政権交代を求める国民の声に押されて、衆院解散に追い込まれ、2009年9月の衆院選で惨敗し、民主党に政権を明け渡すことになった。