マネージャーだけ五人も集まるという「予期せぬ成功」に着目した野球部は、早速のその分析に当たります。すると、その過程で学校と生徒との間にある「ギャップ」や、生徒たちの「ニーズ」というものにも気づかされました。
そうして、イノベーションの機会というものが徐々に姿を現し始めたところで、ふいに真実が、とんでもないことを言い出します。
「私たちの野球部は、マネージャーがマネジメントを学ぶための組織とするのです!」
なんと、それを「野球部の定義」にするというのです。
「これが『マネジメントを学ぶ』ということなんだね」
真実のその言葉に、一同はシーンと静まり返った。みんな、どう反応していいか分からなかった。
やがて、公平が呆然とした顔でつぶやいた。
「確かに、それは新しい……」。それから、一同を見回すとこう続けた。「野球部が、野球をするための組織ではなく、マネジメントを学ぶための組織だなんて、聞いたことがないよ」
「でも……」と、不安げに口を開いたのは洋子だった。「そんな大胆な定義で、本当に大丈夫かしら? みんなから、『頭がおかしい』って思われたりしない?」
「もちろん、その可能性はあると思う」
と真実が答えた。
「でしょ、リスクが大きすぎるわ」
すると、その洋子の言葉に対し、真実はこう言った。
「でも、この定義は闇雲に考え出したものではないわ。私たちの理想や願望でもない。『予期せぬ成功』という現実から導き出した分析の結果なの──」。それから、『イノベーションと企業家精神』の本を掲げるとこう続けた。「ドラッカーは、予期せぬ成功についてこんなふうにもいっているわ」
予期せぬ成功は機会である。しかし、それは要求でもある。正面から真剣に取り上げられることを要求する。(二三頁)
「予期せぬ成功は、単にイノベーションのチャンスというだけではなく、それは社会の要求でもある──と。だから、それについて『正面から真剣に取り上げ』るのは、マネージャーとしての真摯さが問われることでもあるんじゃないかしら」
「むむむ、なるほど……」
「さらに、ドラッカーはこうもいっているわ──」
予期せぬ成功は、自らの事業と技術と市場の定義について、いかなる変更が必要かを問うことを強いる。それらの問いに答えたとき初めて、予期せぬ成功が最もリスクが小さく、しかも最も成果が大きいイノベーションの機会となってくれる。(二〇頁)
「さっき洋子は『リスクが大きすぎる』って言ったけど、ドラッカーの考えはむしろ逆なの。ドラッカーは、イノベーションには大きなリスクが伴うと一般的には思われているけど、それは誤りだといっているわ。むしろ、イノベーションが必要な分野でイノベーションを行わないことこそ、最もリスクが大きいって」
イノベーションが必然であって、大きな利益が必然である分野、すなわち、イノベーションの機会がすでに存在する分野において、資源の最適化にとどまることほどリスクの大きなことはない。論理的にいって、企業家精神こそ最もリスクが小さい。企業家精神のリスクについての通念が間違いであることを教えてくれる企業家的な組織は、われわれの身近にいくらでもある。(五頁)
それを聞いて、五月が言った。
「確かに、冒頭の『変化を利する者』というところにも、こういう言葉が書いてあるわね──」
企業家とは、秩序を破壊し解体する者である。シュンペーターが明らかにしたように、企業家の責務は「創造的破壊」である。(四頁)
「これでいうと、野球部を『マネジメントを学ぶための組織』と定義することは、正しいのかもしれない。だって、それってまさに『秩序を破壊し解体する』ことだから。高校野球一〇〇年の歴史と伝統を、『創造的』に『破壊』することだから」
それを受け、真実が言った。
「ちょっと話がずれるけど、野球部の定義を『マネジメントを学ぶための組織』にしようと考えたとき、ドラッカーの提唱した『民営化』のことを思い出したんだ」
「民営化? 民営化って、例えば電電公社がNTTになったり、国鉄がJRになったりしたこと?」と洋子が言った。