みんなと同じ本を読んでいると、みんなと同じ発想しかできなくなる。人の体が食べものからできているように、人の精神・思考もまた、読むものからできている。大学卒業後、ボストン コンサルティング グループで経営コンサルタントとしてのキャリアをスタートした三谷宏治氏が、職場で他人と意見がかぶったことに危機感を覚え、30年にわたって編み上げた自分の独自性をつくるための「戦略読書」。それをまとめた新刊『戦略読書』から、一部を抜粋して紹介する連載。第1回は、読書に戦略が必要な理由と、読書が持つ本当のパワーについて。
「読書に戦略」なんて、とんでもない!
私は本を読むのが大好きです。子どもの頃からずっと好きでした。最初はSFや科学書(ときどき日本童話全集)しか読みませんでしたが、大学浪人時代以降は手当たり次第に乱読です。その奇想天外なストーリーや新しい知識や物語に、ただ浸って満足でした。
手元に本がなければ、食卓のアジシオの成分表示だって読んじゃいます。「L‐グルタミン酸ナトリウム10%」云々。だって、活字を読むことそのものが、好きだったのですから(笑)
だから「読書に戦略」なんてありませんでした。個人的には、本を楽しく読み続けていられるのなら、それでよかったのです。
日本人平均の年間読書数は(雑誌を除いて)20冊ちょっと。月2冊程に過ぎません。20歳以上の日本人の3分の1は、1ヵ月間に本を1冊も読みませんし、月4冊以上読む人は2割もいません(*1)。全体の3分の2が「読書量を増やしたい」と答えますが、同じく3分の2が「読書量は以前に比べて減っている」と答えます(*2)。
日本人の読書についての問題は、戦略云々よりまずは「量」。どれだけ読むか、こそが問題なのです。電子書籍でもマンガ版でも構いません。みんなが楽しくいっぱい本を読んでいること、が何よりなのです。
でも大人になってみたら、少し読書への考えが変わりました。自分にとっての「楽しい」が変わったせいもあります。それとは別に、読書を仕事や人生に効率的に「役立てたい」という邪心が生まれたせいもあります。読書には「戦略」が必要だと、思うようになりました。
みんなと同じ本を読んでいたら、みんなと同じことを言うようになった
自分が読書(何をどう読むか)に大きく影響を受けている、と初めて気がついたのは、社会人2年目の頃でした。それまでSFにせよ、新聞(中1からずっと2紙以上を読んでいる)にせよ、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』にせよ、読んでいたのはただ「楽しいから」でした。私にとって読書とはほぼ純粋にエンターテインメントであり、テレビと変わらない存在でした。
結果として「国語が超得意な理系学生」にはなっていましたが、それだけ(=本好きだと読解力が上がる)のことだと思っていました。
でも違いました。ある日職場で、初めて人と意見が被りました。「○○って××だよね」と、同僚と同時に口に出してしまったのです。その内容までは(あまりに昔すぎて)覚えていませんが、まあ、実に凡庸な意見でそれが二重のショックでした。
「他人と同じこと」「ツマラナイこと」しか言えない経営コンサルタントなんて、存在意義はありません。いや、それ以前に、私自身、ただただ恥ずかしく悲しく感じました。「面白い視点でものを言う」ことこそが価値(それで採用もされたらしい)だったのに、そんなツマラヌ存在になってしまったのかと。
そうなってしまった理由は簡単でした。その前の1年半、人と同じものを読み続けていたためでした。社会人経験もなくMBA(*3)も持たない学卒若手コンサルタントが、その弱点を埋めるため、必死に本を読みました。城山三郎らのサラリーマン小説を100冊、そして、ビジネス基礎本を100冊以上。雑誌も「日経ビジネス」やらのビジネス系ばかりを月何誌も。
そんな生活を1年半続けていたら、すっかりそれに染まって、人と同じ反応をする凡庸なコンサルタントができあがっていた、というわけです。人の体が食べるものからできているように、人(の精神)は読むものからできているのだ、と理解しました。
*1 2014年の書籍販売部数6.4億冊、公立図書館での個人貸出冊数7億冊より。
*2 「国語に関する世論調査」(2014年3月調査)文化庁より。
*3 Master of Business Administration。経営学修士などと訳される、ビジネス・マネジメントのための修士課程学位。