美智子皇后の子どもたちへのメッセージ。
「この世界は複雑で悲しみに満ちている」

『橋をかける』美智子(文春文庫)2009年

1998年に出版された『橋をかける(*4)』は美智子皇后による講演録です。国際児童図書評議会(IBBY(*5))から、印ニューデリー大会での基調講演を依頼された美智子皇后が、ビデオによる1時間の講演を行ったのです。演題は「子どもの本を通しての平和──家子ども時代の読書の思い出」でした。

 私が「読書とは何か」を考えるとき、一番に思い浮かぶのは、この本です。美智子皇后は、自身の幼少期からの読書経験を振り返りながら、世界各国からの聴衆に静かに語りかけました。

 彼女が最初に紹介した本は、新美南吉の絵本『でんでんむしのかなしみ』でした。でんでんむしがある日、自分の背中の殻に「悲しみ」がいっぱい詰まっていることに気がつきます。

『でんでんむしのかなしみ』新美南吉(大日本図書)1997年

 不安になったそのでんでんむしは、友を訪ねそれを打ち明けます。「もう生きていけないのではないか」と。でもその友も、別の友も、また別の友もみな言うのです。「私の殻にも悲しみは詰まっているよ」と。

 その小さなでんでんむしは、「みな悲しみを背負っている、それをこらえて生きていかなくてはならないのだ」と気づきます。そして、もう嘆くことを止めるのです。子どもに、ちょっと生きていくことへの不安を感じさせるこのお話が、美智子皇后は嫌いではなく、折に触れて思い出されたそうです。

 彼女がIBBYで語ったことは、ただの読書礼賛ではありませんでした。この世界を生きることの難しさと、互いの間の「橋」の大切さ、そこでの本の価値、でした。

・この世の中は単純でなく、「人と人」の間も「国と国」の間も、複雑で悲しみや困難に満ちている。子どもたちはそれに耐えて生きていかなくてはならない
・そのためには、悲しみに耐える心が養われるとともに、喜びを敏感に感じそれに向かって伸びようとする力が必要だ。本はその両方を与えてくれる
・1冊の本が世界平和をもたらすわけではないが、本は自分が周囲との間に「橋」をかけるための助けとなってくれる
・この「橋」は内へとも向かい、自己の確立や発見へとつながっていく。本はそれを手伝ってもくれる

 子どもたちに、そしてそれを支える大人たちに、生きていくことへの覚悟を促し、そこでの本の大切さを教えてくれました。読書は「橋をかける」力を持っているのです。

*4 日本語版と英語版の合本。右から読むと縦書き日本語、左から読むと横書き英語になっている。宮内庁のホームページで全文が読める。
*5 International Board of Books for Young People