目に見えない貧困が広がっている。
中でも深刻なのは、本来なら、子どもたちや年老いた親世代を支える立場になるはずの中高年層の生活の現実だ。
最近も、40代の姉弟が京都市の一軒家で遺体となって発見されたというニュースが報じられた。
1月21日付の京都新聞によると、昨年8月、滞納されていた水道料金の徴収に訪れた市の職員が異臭に気づき、家の中に入ると、2階のベッドに当時48歳の姉と46歳の弟がパジャマ姿で死亡していたのだという。
警察で司法解剖されたものの、死亡時期や死因はわからなかったようだ。ただ、家の中に食糧がなかったというから、餓死の可能性もある。
餓死のような悲劇に触れるたびに、なぜ孤立する当事者たちをセーフティネットにつなげることができなかったのかに思いを巡らせてしまう。しかも、今回の2人のSOSは、行政に届いていたにもかかわらず、なぜ孤立死を招いてしまったのか。
同紙記事によると、姉はかつて働いていたことがあり、弟は自治会の役員も務めていたという。48歳の姉が働けていなかったということは、働けない何かしらの事情があったと推測できるし、「引きこもり」状態にあった1人だったのかもしれない。
2度も生活保護相談した姉弟
京都市はなぜ救えなかったか
2人は2度にわたり、役所にSOSを発信した。
最初は、2012年6月、京都市右京区の保護課を訪ね、生活保護について相談している。
同区保護課の担当者に尋ねると、このときは「生活が苦しい」という相談であり、申請にまでは至っていないという。一軒家も持ち家だったため、実際には、姉に生命保険の解約をアドバイスし、保健センターを紹介したものの、支援にはつながらなかったようだ。