『もしドラ』第2弾となる、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら』(通称『もしイノ』)の刊行を記念した特別対談。後編は、スポーツ心理学博士・布施努氏と著者の岩崎夏海氏が、マネージャーの本来の役割と人材の育成法について語り合いました。チームを活性化させるための「型」とは何か? 今、企業に求められる「21世紀の体育会系」人材とは?
(構成:山田マユミ、写真:京嶋良太)
勝つためのカギは何か?
常識だと思っていたことに対する疑問
岩崎 『もしイノ』にも書きましたが、イノベーションが起きる前には、予期せぬ成功、予期せぬ失敗というものがあります。例えば2014年の甲子園では、スローボールを投げる選手に賛否両論があったり、この数年はピッチャーの投げすぎが問題視されています。僕はこうした問題が起きるときこそ、新しい価値を生み出せるチャンスだと思うんです。ところが高校野球の世界では、それをチャンスととらえて新しいチームづくりをする学校が生まれにくいのではないでしょうか。
その昔、1974年に金属バットが出てきてから10年ほどで池田高校が出てきて、野球が変わったと言われています。当時は賛否両論でしたが、今では池田高校は新しい野球の先駆けだったととらえられています。
スポーツ心理学博士。慶應義塾大学スポーツ医学センター研究員。NPO法人ライフスキル育成協会代表。住友商事を経てノースカロライナ大学グリーンズボロ校大学院で応用スポーツ心理学専攻、博士号取得。現在はプロ・アマを問わず幅広いスポーツチームや大手企業のチームビルディング、組織パフォーマンス向上に関わる。著書に『勝ち続ける組織の法則』『ホイッスル!勝利学』など。
布施 そうですね。池田高校は、部員に上半身の力を付けさせ、金属バットの利点を生かしたパワー野球のイノベーションを起こした。その結果、1982年の甲子園で、早実の荒木大輔は池田高校に粉砕されたわけです。
問題や課題をチャンスにできるチームは、イノベーションを起こせますよね。前田祐吉監督は慶応大学で二度目の監督になった直後、私たち野球部員に向けていきなり「アメリカに行くぞ」と言い出したんです。当時の慶大野球部はあまり強くなかったですし、前田監督は野球の技術を習得するためだけにアメリカ遠征を敢行したわけではなかったんです。
岩崎 メジャーリーグで体験させたいことがあったのでしょうか?
布施 いえ、監督はどこに「ギャップ」があるのかを部員に感じさせたかったんです。帰国後、監督は「君たちはアメリカで何を感じたか?」というディスカッションの場を持ちました。当時の強豪大学は法政大学や明治大学で、芯にボールを食わせていいライナーを打つ鍛えられた技術、センスを持ち合わせていた。監督は「われわれ慶應は、このままで彼らに勝てるのか?」と聞きました。「君たちはたった4年間で、彼ら以上になれるのか」と。
そして「アメリカの選手はかなりの時間をウェイトトレーニングに割いていたが、なぜだと思うか?」とも聞いてきました。中心打者は相手投手も怖がるパワーヒッター、打ってもショートフライ程度の選手でも、ウェイトトレーニングであと3メートル飛ばせれば、センターとショートとセカンドの間に落とせるようになる。そうすればヒットになるだろう。だから、ただバッティング練習するよりウェイトトレーニングをもっとしたほうがいいのではないか、という話になったんです。今でこそウェイトトレーニングは当たり前のように聞こえますが、35年前にはウェイトトレーニングをどうやればいいかもわからなかったんです。-
岩崎 なるほど。『マネー・ボール』で、オークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGMが勝敗を左右するのは「出塁率」だと気づいたことと似ていますね。
布施 投手も、当時の法政の選手が投げるような、球筋がきれいに回転するピッチングをやめように言われました。「キャッチャーが捕りやすい球を投げてどうするんだ、もっと汚いボールを投げろ」と。当時は「moving fastball」といいましたが、速度が速く、打者の手元で小さく変化する、今でいう2シームとかカットボールのような球を35年前に教えられたんです。
それはある意味、イノベーションでした。そしてイノベーションが起きるきっかけは、今まで常識だと思っていたことに対して、疑問を感じたことです。前田監督をはじめマネジメントの人たちが、選手自身では気づかなかったことに、気づかせてあげる場をつくったことなんです。
その後、慶應の野球部には陸上部の先生が迎えられ、カール・ルイスの走り方を選手たちに伝授しました。ただ陸上部の先生なので継続して教えられないとなり、そこで、高校まで陸上部だった野球部員をトレーニングコーチとして起用したんですね。もうまるで『もしイノ』の話のようでしょう?(笑)そして、『もしイノ』と同じ、楽しんでいる姿を見せて相手にやりたく思わせる「トム・ソーヤーのペンキ塗り作戦」も使いながら、その元陸上部員を説得したわけです。結果、彼は野球部の選手でありながら、ランニング、スプリントを教えるトレーナーとしての役割も担っていきました。
岩崎 それで慶応が勝つようになれば、その選手はますますやりがいを感じますよね。
お互いを認め合いながら、
チームの行動規範=「型」をつくると自由度が増す
岩崎 僕はチームの仲間を増やすことは、喜びや悲しみの輪を増やしていくことだと思うんです。その意味において昔、オリンピックや高校野球を見ていると、スタンドで応援している人を、うらやましく思っていました。
布施 すごくわかります。筑波大学が2007年に優勝した当時、私はスペシャリストとしてチームに入れてもらっていました。ある日、4年生のトスバッティングでトスを上げている後輩部員が「ありがとうね、助かったよ」と先輩に言われた後、僕のところにやってきたんです。彼は「ありがとう」と言われたことに違和感があると言う。彼は、先輩の「手伝い」をしているのではなく、一人一人の先輩選手の苦手なコースを考えて、トスを上げ続け、ただ手伝いをしているのではなく、試合に勝つための一員として貢献しているつもりだったのに、ありがとうと言われると変な感じがすると。それは私がチームづくりについて話をした後のことでしたが、彼は意識が変わったのだと思います。
こういう部員が出てくると、グラウンド整備やトスを上げることは、レギュラー選手の単なる手伝いではなくなります。舞台をつくる脚本家や大道具のように、選手はあくまでも「演じてくれる役者」であって、その舞台をつくり上げるのはスタッフ全員なんです。そして自分が舞台に貢献しているという当事者意識が強くなると、役者がサボったり、いい演技ができていないと思ったときに、自分の言葉でそのことを伝えられるようになる。野球でも、いいプレーができなかった選手に、その要因を伝えることができるようになるんです。そうなると、チームが活性化してきますよね。
岩崎 ドラッカーはマネージャーの仕事は、組織の人員それぞれの強みを組織に貢献させることだと言っています。「ありがとう」という言葉は、下働きしてもらっているという感覚に近い。『もしイノ』でも書きましたが、おにぎりをつくってくれてありがとうというのは、相手を格下に見ているということだと思います。それだと、本人も手伝いをしているという意識から抜けられない。でも、チームを強くするために、おにぎりをつくっているという意識があれば、栄養素を調べるなどの工夫も自然とできるし、結果もまったく変わってくるはずです。
布施 元NBA選手のマイケル・ジョーダンは、リスペクトという言葉をよく口にしますが、単に「尊敬」という意味ではなく、彼は「相手の存在を認める」という意味で使っているんですね。マネージャーをリスペクトするというのは、僕は選手だけど、君はマネジメントであり、その仕事はマネジメントの君でないとできないことだと認めるということなのでしょう。
『もしイノ』に出てくる「選手を信用する」という言葉は、まさにその意味において、選手を上下関係で見るのではなく、同じ野球人として認めていくことだと思いました。例えば、監督やマネジメント陣がルールをつくって選手を縛るのではなく、選手自身にルールをつくらせたり、本当にルールがいるのかを話し合ったり、ルールより共通認識をつくり、そこから行動規範を選手たちが考えていくほうが、いいチームになるのだと僕は思います。
そういう感じでチームの行動規範をつくると、逆に自由度は高くなる。チームの価値観が決まれば、判断場面でいちいち監督の指示を仰ぐ必要がないし、自己判断ができるようになってきます。監督には確認するだけになる。最終的には「ノーサインでの試合が最高の試合」というレベルにまで引き上げられるようになる。そして試合後は反省会ではなく、自分はこう考えた、選手はこう考えたという「考え方の共有」をするようになるのです。そうすると、そういう考え方もあるよねとか、監督はこう考えたんだなと、新しいとらえ方ができるようになるので、ミーティングそのものが楽しくなります。
岩崎 『もしイノ』でも、「型があると自由度が広がる」と同じことを書いています。何かを習得するときは、型を学びそれを反復すれば、逆にその中で自由に動けるようになると。型は選手を縛るものではなくて、型を活かして自由に行動してもらうものなんですよね。
布施 そうですね。そして型は、自分たちの価値観を示すための手段にもなるんですよ。