「周回遅れ」の日本に
生活保護の拡大と活用でチャンスを

 セーフティネットと言えるものが生活保護しかない、という現状を変えていく必要もある。

「でも短期的には、雇用や保険から漏れる人の救済は必要です。他に何もないから、生活保護が必然的に増えるんです。『現在あるパイをどう分配するのか』という考え方からは、『削減ありき』となるのは仕方ありません。あとは『どう削るか』です。でも、そうではなくて、社会保障全体をどう考えるのか、生活保護をどう位置づけ、他の制度をどう補完するのか。そういう大きな議論が必要なのではないでしょうか」(大西さん)

 生活保護に関する議論として、少なくとも「ネット世論」で、財源を理由とした削減論、削減論に対抗する人権論、または削減論と人権論の「落とし所」を探る論ではない何かが、広く語られたことはあっただろうか? 私の記憶にはない。

「政府が『財源』を理由にして削減を主張するのは、よく分かります。市民社会は対抗上、その財源論に反対しているうちに、視野が狭まって『社会保障が厳しいので、限られた財源の中で考える』しかしなくなっている気がします。あまりにも、限定された環境の中での議論や提言やアプローチに慣らされてしまったのだと思います。

 例えは不適切かもしれませんが、日常的に殴られていると、何日か殴られないと『ああよかった』とホッとして、『暴力は悪い』ということに気づけなくなりますよね。それと似ていると思います。社会保障の削減が進んでいることは、ある種の暴力が続いているということですから」(大西さん)

 日本という国の全体が軋んでいる中で、さまざまな問題が起こっている。「持続可能な開発目標(SDGs)」は、日本が抱える数多くの問題と背景を、まるごと、包括的に解決するためにも使えるはずだ。

 とりあえず、SDGsの「誰も置き去りにしないことを確保しながら、あらゆる形態の貧困に終止符を打ち、不平等と闘い」は、生活保護基準を「健康で文化的な」レベルに向上させ、維持し、それ以下の生活をしている人々を今すぐ一人残らず生活保護の対象にすること(現在は50~80%が対象になっていないと試算されている)で実現できる。しかし生活保護は、制度そのもの・生活保護基準ともども、さらに激しく揺るがされる可能性が浮上している。

 次回は、2016年5月28日に再開された社保審・生活保護基準部会で提示された、これからの生活保護制度見直しについてレポートする予定だ。

「誰も置き去りにしない」どころか、「ほとんどが置き去りにされる」、さらには「日本が置き去りにされる」となりかねない動きに、引き続き、関心と注目をいただきたい。