プライスレスか、プライスレスレスか

【楠木】あと、この本の冒頭ページに、哲学者キルケゴールのエピグラフがあるじゃないですか。僕は「これがすごく効いているな」と思ったんですよ。

どんな金持ちも、自分自身を選ばねば無である。
どんな貧乏人も、自分自身を選ぶなら全である。
誰にとっても肝心なのは、
「あれ」でも「これ」でもなく、
「自分自身」であることなのだから。
(セーレン=オービュエ・キルケゴール『あれか、これか――ある人生の断片』)

選択っていうのは価値判断ですよね。そして価値判断をするためには、自分の価値基準がないといけない。ファイナンスの強みはとにかく「価値基準」を明確に与えてくれるということにある。すなわち、「すべてはカネに換算できる」という前提です。つまりファイナンスにプライスレスはない。「プライスレスレス」なんですよ。

【野口】「プライスレスレス」ですか(笑)。

【楠木】プライスレスレスにすることによって価値が定められる。だから判断や選択ができる。ものの考え方に広がりが出てくる。理論もどんどん進化する。
ただ、一方で矛盾もあって、僕にとってはそこがいちばん面白い。ファイナンスでは、現金が最も価値の低い資産になるわけですよね。それなのに、カネにすべてを換算して考えるファイナンスそれ自体が、「カネほど価値がないものはない」と言っている。

【野口】そう、ここに変な矛盾があるんです。

「好き」か「カネ」か、人生の基準は?<br />【特別対談】楠木建 × 野口真人(第1/3回)

【楠木】根本的矛盾ですよね。この矛盾をどういうふうに考えるのかというのは、もはや一人ひとりの哲学の問題になる。「じゃあ結局、自分の価値基準って何なんだろう?」と。もちろん、カネに換算したほうがわかりやすいし、そのほうが都合のいいことも多い。だけどやっぱり人間ですから、プライスレスなものだって持っているわけですよね。
単純な「価格」と「価格」の比較だと意味がない。だから「価格」を「価値」に変換する。でも結局、最後は「価値は価格である」というところに戻るんです。これがファイナンスの「底の浅さの奥深さ」です。

【野口】面白いところですよね。