高野昭博(たかの・あきひろ)さん
1955年、東京都生まれ。埼玉県で育ち、現在も埼玉県に在住。現在はNPO等で、生活困窮者支援業務に従事。趣味はスポーツ・音楽鑑賞・旅行。大切にしている言葉は「明鏡止水」

「自分1人になったので、もう少しコンパクトな住まいを見つけて引っ越すことも考えました。でも、30年以上、両親と暮らしていた住まいだったんです」(高野さん)

 そうこうするうち、家賃滞納によって、高野さんは借家を退去せざるを得なくなった。母親を見送ってから約1年後、2009年8月のことであった。高野さんは、母親の遺骨と、母親と共に愛した茶トラのオス猫を抱いて、公園で路上生活を始めた。

 高野さんに対し、「なぜ、もっと早く引っ越さなかったのか? 行政などに相談しなかったのか?」という疑問を持たれる方もおられるだろう。あえて「自己責任論」の立場からする質問に、高野さんはどう答えるだろうか?

「自己責任」で何とかできたはず?
54歳の就職活動に立ちはだかる年齢の壁

 まずは、なぜ「アルバイトのような仕事」なのかという疑問だ。少なくとも母親を見送った後は、フルタイム就労が可能であろう。なにも、不安定なアルバイトの立場にこだわる必要はないはずだ。

「ハローワークで、仕事は探しましたよ。でも『54歳』という年齢だと、安定した仕事、まずないんです。もしも資格職だったり、あるいは職務に関連する資格を持っていたりしたら別かもしれませんが。経験は、採用時の評価にまったく反映されないんです」(高野さん)

 それでも高野さんは、熱心にハローワークに通い、求職情報を検索し、応募もした。しかし電話や相談ブースで高野さんの年齢を知った相手は、「ウチは35歳くらいまで」と即座に断ることの連続だった。

「能力や経験ではなく、まず年齢が問題にされて、面接にもたどりつけないんです。『不条理だな』と思いました」(高野さん)

 それに、60歳定年の会社なら、当時54歳の高野さんが勤続できる時間は6年しかない。

「どこかに就職できても、すぐ定年ですからね。その後をどうするのかが問題になります。私としては、『定年のない仕事に就ければ』と思っていましたが……世の中は、そんなにうまくいきませんね」(高野さん)