日本史のおもしろさは、ずばり「人」にあります。
何か「すごい」ことを成しとげた人は、歴史に名前が残ります。でも「すごい」だけの人なんて、この世にひとりもいません。むしろ、ものすごい失敗をしたり、へんな行動をしたりして、まわりから「やばい」と思われているような人が、誰にもできない偉業をやってのけていることもあります。だって、人生は長いのです。いい日も悪い日もあるし、年とともに変化だってあります。いろんなことを考え、行動し、ときに失敗し、そこから学び、たまに成功する。カッコいい一面もあれば、ダサい弱点もある。
だからこそ、人はおもしろいのです!
「すごい」と「やばい」の二面から、日本史の人物の魅力に迫る『東大教授がおしえる やばい日本史』から、今回特別に内容を一部お届けします。

すごい真田幸村 家康を追いつめた戦国時代最後のヒーロー

真田幸村は、じつは「ニート」だった!?「やばい」から日本の歴史が見えてくる!

 強大な敵・徳川家康に挑んだヒーロー、それが真田幸村です。あまり力のない真田家の次男として生まれた幸村は、若いころは上杉景勝や豊臣秀吉のもとで人質生活を送ります。

 そのため武将デビューは遅く、33才のときの「関ヶ原の戦い」から。

 じつは関ヶ原の戦いで、真田家の兄弟は敵と味方に分かれます。石田三成の親戚だった父・昌幸と次男・幸村は西軍に、徳川家康の養女を妻にした長男・信幸は東軍についたのです。

 このとき幸村は、徳川家康の子・秀忠にあざやかな勝利をおさめ、一気に有名人になります。幸村は、関ヶ原に向かう途中の秀忠を「おーい! 家康のバカ息子!」とからかい、まんまと怒って突進してきたところを待ちかまえて襲撃したのです。

 ところが、結局西軍は負けてしまい、幸村は父とともに流罪になってしまいました。しかし14年後に脱走し「大坂の陣」で再び家康と戦います。幸村は少ない兵ながら激しい攻撃をしかけ、家康を切腹寸前まで追いつめたのです。

 しかしギリギリで家康の味方がかけつけ、幸村はきずを負って逃げます。木にもたれて休んでいたところを敵に見つかると、フッと笑って「おれの首をとって手柄にしな」と言ったそうです。幸村は最後までかっこよく、まさに戦国時代最後のヒーローでした。