やばい真田幸村 ニートになってお金とお酒を兄にたかる

 関ヶ原の戦いで西軍が負けたとき、真田幸村と父・昌幸は処刑されかけました。

 しかし、東軍についていた兄の信幸が「父と弟を助けてください!田舎でおとなしくさせますから!」と家康にすがったので、流罪ですんだのです。

 和歌山にある高野山のふもとに流された幸村親子は、妻子や数人の家臣たちとボロい家に住んでいました。働くことも外出することもできず、不本意とはいえ、その生活はヒマをもてあますニート同然。

 お金もぜんぜんなかったようで、あせった昌幸は徳川家に味方した四男に手紙で助けを求めています。

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生活費が足りなくて、借金が増えて困ってる。
40両送ってくれると聞いてたけど
20両しかないので、残りの20両も早く送ってくれ。
5両でも10両でもいいから!
とにかく早く送ってくれ!
父より
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 結局、苦しい生活で身も心もつかれ果てたせいか、昌幸は病気になって11年後に亡くなりました。

 ところが、幸村はのんきそのもの。お金がないのに大好きな焼酎はがまんできなかったのか、兄の家臣にツボをふたつ送りつけ、図々しく酒をねだります。

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このツボに焼酎をおつめくだされ。
いっぱいつめて、こぼれないように
ツボの口をしっかり閉めてください。
ツボふたつぶん、どうかお願いします。
でも、ふたつぶんより焼酎があるなら、
それもいただきたいです。
幸村より
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 流罪になっていた14年間、幸村はいろんな人にたかりつづけました。そのあげく脱走して家康に襲いかかったのですから、肩身のせまい思いをしながらお金や酒を送りつづけた徳川サイドの真田家の人びとは「いいかげんにしろ!」と思ったことでしょう。

真田幸村(1567年~1615年)
時代:安土・桃山~江戸時代
身分:武将
出身:長野
本名:真田信繁
豊臣家に仕えた信濃(長野)の武将。非常に頭がよく、徳川秀忠への勝利を皮切りに、徳川家康を何度も困らせた。
「幸村」は江戸時代に大ヒットした本でのよび名で、本名は信繁。生活苦のせいか、40代のときの幸村は「白髪になり、歯もぬけて病気がちになった」と手紙に書いている。

(本原稿は、東京大学史料編纂所教授 本郷和人監修『東大教授がおしえる やばい日本史』の内容を編集して掲載しています)

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