断絶の時代
ダイヤモンド社刊
2520円(税込)

「成長の過程では、何かを生み出すことほど大事なことはない。しかるに学校はその機会を与えない」(『断絶の時代』)

 今日の科目では、何かを生み出すことはできない。文法において生徒のなしうることは、誰かがすでに明らかにしたことを覚えることだけである。

 ドラッカーによれば、これまで学校は基本的には何一つ変わっていないという。生徒をはじめ、関係者の全員がこれまでのものと違う学校では承知しなかった。

 しかし、その結果は退屈な学校、刺激のない学校、何事も生み出すことのない学校、いかなる満足も与えない学校だった。

 知覚と感性は本人の能力、性向、得手不得手とはかかわりのない客観的な基準の下に、自ら何かを生み出すことによってのみ、教えられ、伸ばされる。しかも、生きていくうえで、成長を続けていくうえで必要とされるものは、推理や暗記よりも、この知覚と感性である。

 音楽では鑑賞が科目とされ、肝心の作曲と演奏のほうはクラブ活動や専門学校の世界に追いやられている。ばかげたことというべきである。

 ドラッカーは、一人ひとりの生徒のニーズと意欲を満たすカリキュラム、しかも同じ成長過程を経る者はいないという事実に即して、一人ひとりの生徒に合わせて組んだカリキュラムが必要だという。

 「落ちこぼれとは、教育の品質管理の失敗である。しかるに今日この評価に耐えうる学校や教師がほとんどない」(『断絶の時代』)