火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、金・銀への欲望が世界をグローバル化した、石油に浮かぶ文明、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。化学は人類を大きく動かしている――。白熱のサイエンスエンターテイメント『世界史は化学でできている』は、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞夕刊、読売新聞夕刊と書評が相次ぎ、発売たちまち7万部を突破。『Newton9月号 特集 科学名著図鑑』において、「科学の名著100冊」にも選出された。
池谷裕二氏(脳研究者、東京大学教授)「こんなに楽しい化学の本は初めてだ。スケールが大きいのにとても身近。現実的だけど神秘的。文理が融合された多面的な“化学”に魅了されっぱなしだ」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

【衣服の世界史】意外に知らない…歴史的に重要な「4大天然繊維」とは?Photo: Adobe Stock

人類と天然繊維

 私たちの日常生活はさまざまな衣料を必要としている。さまざまな布は、縦糸と横糸を織り合わせてつくられている。糸は細長い分子からなる繊維と呼ばれる物質をより合わせてつくられている。

 繊維は、天然繊維と化学繊維に分けられる。天然繊維は綿や麻などの植物繊維と羊毛や絹などの動物繊維に、また、化学繊維は原料の違いによって、セルロースなどを化学的に処理してつくられる再生繊維や半合成繊維と、石油などから合成される合成繊維に分けられる。

 衣服を身につける生物は私たち人類だけだ。しかし、それがいつ頃から始まったのかを知るのは難しい。漫画や映画に登場する原始人類は毛皮をまとっている場合が多いが、実際、どうだったのかはわかっていない。

 きっと私たちホモ・サピエンスの初期は、身を守るために木の葉や毛皮などで体を覆ったことだろう。骨針が発明されると、毛皮に袖を縫い付けることができるようになり、植物から取り出した繊維や羊毛を手織りして布をつくるようにもなったのだと思われる。

 実際、石器時代にスイスの湖畔に住んでいた古代人の遺跡から亜麻の繊維を利用した痕が発見されているし、新石器時代の中国の西安市の遺跡の陶器に、織った布の痕が残っている。

 歴史的に重要だった天然繊維は、亜麻(麻の一種)、綿(コットン)、絹、羊毛の四大繊維だ。亜麻は、茎の表皮に近い部分に存在する靱皮の繊維がとくに長いのでこれを利用する。乾いていても濡れていても強度が高く「親水性」の繊維で通気性も優れ、洗濯しやすく保温性も高いので、衣料用繊維としてあらゆる分野で使われている。この繊維の成分はセルロースで、強さと美しさと耐久性を持ち、品質に優れている。

ミイラを包んでいた亜麻布

 エジプトで発見された四千年前のミイラは亜麻布で包まれていた。同じくエジプトで紀元前二七〇〇年頃の壁画にも亜麻の収穫風景が描かれている。「産業革命」で綿が主流になるまでのヨーロッパの基本繊維であり、下着、シーツ、枕カバーなどすべてに用いられた。現在、亜麻で織ったリンネルは綿よりも品質が優れていて高級品とされる。

 また、綿は、ワタという植物の果実の中にあるふわふわとした真っ白な種子毛繊維(綿花)を摘み取り、種子と繰り綿に分離、さらに種子についている短い繊維もとる。繊維の成分は亜麻と同じくセルロースである。

 綿は、現在のところ、もっとも古い栽培の証拠がメキシコにあり、約八千年前とされている。約七千年前のインダス文明にも栽培の痕跡がある。南米のペルーでは紀元前一五〇〇年頃から綿が利用されていた。そして、十八~十九世紀には世界各地で栽培されるようになった。

 十八世紀中頃、アメリカ南部は「綿花王国」と呼ばれた。ワタ栽培には、多数の労働力を必要とする。十九世紀には、アメリカ南部は世界最大のワタ生産地となったが、その陰には黒人奴隷の過酷な重労働があり、「奴隷制」は南北戦争を引き起こしたのだ。

 昆虫にも家畜がいる。その代表がカイコだ。カイコはカイコガというガの幼虫である。カイコの原種は野生にいるクワゴというガで、クワゴを改良・家畜化して、繭が大きくて上質な生糸が多くとれるカイコをつくった。生糸をつむいでつくられるのが絹だ。絹の成分はタンパク質で、主成分はフィブロインである。

 中国国内で生産された絹織物は、五世紀頃にはギリシア・ローマにもたらされた。五五二年、ビザンツ帝国のユスチニアヌス一世は、二人のペルシア人宣教師と契約し、カイコの蚕卵紙(蚕の卵が産み付けられた紙)と、餌となるクワを育てるための種子を持ち帰らせて、その飼育に成功した。結果、コンスタンティノープルが養蚕の中心地になった。その後、養蚕はヨーロッパ全域に広まっていく。

 羊毛は、現在も動物繊維の主役である。羊毛の成分はタンパク質の一種で、主成分はケラチンだ。原産は中央アジアだが、二千年も前からスペインでメリノ羊が飼育されており、ヨーロッパに続いてオーストラリアや南アフリカの植民地で発達した。

 かつて「羊が人間を食い殺す」と言われたイギリスにおける十四世紀後半から十五世紀の「囲い込み」では、羊の牧場がすさまじい勢いで農民の耕地を奪い、林野までも牧場に変わっていった。まるで羊の嵐である。

 「囲い込み」により羊毛生産の規模は飛躍的に拡大し、毛織物産業は国民的な産業に成長していった。十六世紀後半にはテューダー朝・エリザベス一世の絶対王政において毛織物産業が手厚く保護された。しかし、産業革命の花形である「綿」に羊毛は主役の座を奪われる。

 現在、羊毛のおもな産地が、オーストラリア、アメリカ合衆国、南アメリカのアルゼンチンなどになったのは、新大陸の原野の開拓にはまず羊が持ち込まれたからである。

(※本原稿は『世界史は化学でできている』からの抜粋です)

左巻健男(さまき・たけお)

東京大学非常勤講師
元法政大学生命科学部環境応用化学科教授
『理科の探検(RikaTan)』編集長。専門は理科教育、科学コミュニケーション。一九四九年生まれ。千葉大学教育学部理科専攻(物理化学研究室)を卒業後、東京学芸大学大学院教育学研究科理科教育専攻(物理化学講座)を修了。中学校理科教科書(新しい科学)編集委員・執筆者。大学で教鞭を執りつつ、精力的に理科教室や講演会の講師を務める。おもな著書に、『面白くて眠れなくなる化学』(PHP)、『よくわかる元素図鑑』(田中陵二氏との共著、PHP)、『新しい高校化学の教科書』(講談社ブルーバックス)などがある。