では、社会の実際の問題を解いてみよう。2019年第1回入試の歴史的分野で、受験者の正答率は81.3%だった。

 平安時代の『源氏物語』や『枕草子』、(f)院政期の物語などにも「ひいな遊び」、つまり、ままごと遊びをしていたことが出てきます。人形は、人間の身代わりとして病気、災難除けに川へ流したり、幼児の枕元に置いてその健康を守ったりするために使われました。

問7 下線部(f)について。院政とその前の10世紀から11世紀の政治では、それぞれの時期に天皇以外に実権を握る人物がいました。【資料13】は、10世紀から11世紀の政治と院政の時期の天皇の周囲の人物を示した系図(注)です。

 それぞれの時期に天皇以外に実権を握った人物を【資料13】中のア~カから選び、記号で答えなさい。その上で、それぞれの人物がどのような地位に就くことで実権を握ったのか、解答欄の形式に従って答えなさい。

(注)先祖から子孫にいたる一族の系統を書き記した図。

 

 もう1問、今度は2018年の歴史的分野から見てみよう。こちらは解答を記述させる問題となっている。目安は60~70文字だろうか。

 昭和に入り、戦時体制が強まり、さまざまな思想や宗教が統制される中、(j)戦時中の仏教界には、「この戦争はひとつの罪悪であると同時に、人類に対する敵であると考える」と説き、反戦平和を訴えた僧がいた一方、「敵兵を殺すことで多くの命が救われる、だから敵を殺すことは罪ではない」という考えを説く宗派もありました。また都市部の寺院は、軍需工場の工員宿舎、軍需品倉庫などの役割も果たしたため、アメリカの日本本土空襲における攻撃目標になりました。

【資料8】三重県四日市の工場に集められた大量のつり鐘   (『目で見る郷土史 四日市の歩み』より)

問11 下線部(j)について。1938年、政府の呼びかけによって、寺院のつり鐘が数多く回収されました。この呼びかけはその後、1941年8月に強制力を持つようになります。【資料8】は、三重県四日市の工場に集められた大量のつり鐘の写真です。なぜ、このような数多くのつり鐘が改修されたのでしょうか。その理由を、1938年から1941年8月の間の日本の状況に触れて、説明しなさい。