田中淳子(たなか・じゅんこ)
栄東中学・高等学校校長
栄東中学・高等学校校長、学校法人佐藤栄(さとえ)学園理事長。京都生まれ。大学卒業後、通訳として世界銀行に勤務。欧州各国、米国などに赴任。帰国してから公立校で英語科教員に転じ、埼玉県の教員を定年退職後、学園創設者で栄東の初代校長も務めた佐藤栄太郎元理事長(2008年没)にスカウトされて栄東中学校教頭に。2008年12月栄東中学・高等学校校長に就任。2021年4月より第4代理事長も兼務。
新興名門校躍進の原動力
――校長に就任されてから何年たちましたか。
田中 学園創設者で初代校長の佐藤栄太郎先生が亡くなった(2008年11月)翌月から2代目の校長職を引き継ぎましたので、今年で13年目になります。
――栄太郎さんは生前、「戦後、ゼロから進学校を築いたのは私と渋谷教育学園の田村哲夫さんくらいのものだ」とよくおっしゃっていました。
田中 1978年創設の栄東高校に中学が付設されたのが92年のことです。最初の年、募集定員120人に対して、入学してきた生徒68人で始まりましたが、生徒数よりも教員数の方が多いくらいでした。それが30年間で中高合わせて2340人にまで育ちました。
埼玉県の校長を定年退職して、この学校に来たのが20年前のことです。栄東高校は当時すでに共学化されていましたが、私自身は男子高校のつもりでいました。中学の教頭になれと言われ、「栄東中学というのがあるのですか」と佐藤栄太郎校長に聞いたら、ものすごく怒られました(笑)。
――ご存じなかった(笑)。立ち上げ当初、中学はだいぶ苦労されていたようで、栄太郎さんが私に「栄東中学を進学校にするためにはどうしたら良いでしょうか」と言われたのを覚えています。田中先生が来られる前のことでしたが。
田中 1人でも生徒が入学してくれますようにと、それだけを願っていました。説明会に来るのは毎回同じ人で、話をしても皆寝ていたりして。中学の校長になったときは A~E日程まで入試を行い、ようやく出願者数が300人近くになりました。
生徒募集が軌道に乗り出したのは、コース制の東大クラスと難関大クラスを展開したからだと思います。それに伴い、東大合格者も徐々に増えていきました。一番多かった2016年には27人が合格しました。
――あのときはトップ校の県立浦和を抜きましたね。
田中 私も驚きました。近年の大学合格者数では、東京理科大の合格者数がのべ208人で日本一になりました。慶應義塾大ものべ96人に。早稲田大はのべ179人が合格しました。高い学力を持っていても東大を受験せず、医学部医学科に合格する生徒も昨年度は87人と、増えています。このような大学合格状況も背景にあって、おかげさまで栄東中学校の出願者数は、2021年で8年連続1万人超えとなりました。