伊東信一郎

伊東信一郎

ANAホールディングス代表取締役会長
1950年宮崎県生まれ。九州大学経済学部卒業後、1974年全日本空輸入社。2001年人事部長、2003年取締役、2007年副社長を経て、2009年代表取締役社長に就任。羽田空港の再国際化など、航空産業を取り巻く環境が激変する中で、国際線ネットワークの拡充や全日空のホールディングス化などを推進した。2015年より現職。
最終回
「いかなるときも成長へのチャレンジをしてきた」ANA伊東信一郎会長
伊東信一郎
海外エアラインとの競争が激化し、群雄割拠となっている航空業界。そこから抜け出して主導権を握るのはどこか。幾度もの危機を乗り越えつつ、常に成長を志向してきた伊東信一郎・ANAホールディングス会長に、「リーディングエアライン」実現への道を聞いた。
「いかなるときも成長へのチャレンジをしてきた」ANA伊東信一郎会長
第3回
リーマンショック後、全社一丸でANAがどん底を脱するまで
伊東信一郎
2010年1月宿命のライバルであるJALが会社更生法を申請し経営破たんした。だが、会社更生法と併せ、3500億円もの公的資金を投入した支援策は、後に公正取引委員会の指針案「公的再生支援に関する競争政策上の考え方」でも、競合会社との競争環境を歪めると指摘された、著しく不公平なものになった。破綻企業に対する公的支援のあり方に、大きな課題を残すことになった。
リーマンショック後、全社一丸でANAがどん底を脱するまで
第2回
絶体絶命を乗り越えて黒字化したANAの国際線
伊東信一郎
30周年を迎えたANAの国際線は、就航当初から18年間も赤字が続いた。数々の試練を乗り越えてきた原動力は、将来成長するには国際線しかないという全社員の危機感の共有と、ライバルに対する競争心だ。伊東会長が当時を振り返る。
絶体絶命を乗り越えて黒字化したANAの国際線
第1回
「何でもやっていい」“放任主義”がLCCを育てた
伊東信一郎
日本の空の風景が変わってきている。運賃の自由化やLCCの台頭など、かつての規制時代には想像すらできなかった風景が当たり前になってきた。民間航空会社として元は国営会社だったJALと熾烈な戦いを続けてきたANA。かつての規制時代から現在の緩和時代までを見てきた伊東信一郎・ANAホールディングス代表取締役会長が、日本の航空輸送産業について語る。
「何でもやっていい」“放任主義”がLCCを育てた
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