「使えないヤツ」と思われてしまう
体言止めの使い方

 例えば、次のような箇条書きで、一瞬で全体像を理解することはできるだろうか。

【コストの低下】
・原価
・販促費
・間接費

【売上の増加】
・海外事業
・国内事業

 コストと売上で、対になることを議論していそうだ。だがこれが、「両方とも未来の状態を表すもので、単なる理想を語っているもの」なのか、「今の状態を表していて、よい兆候を伝えているもの」なのかが一瞬ではわからない。

 また、コストの低下は現在の状態を伝えるもので、売上の増加は未来の行為を伝えている可能性もある。コストの低下によって余力が出たので、今後は売上の増加に舵を切るというイメージだ。

 このように体言止めはいくらでも解釈の仕方があり、相手は迷うことになる。結果として、体言止めを使うと、相手は一瞬では全体像の理解ができなくなるのだ。

 余談だが、物事を曖昧にしたければ、体言止めを使うとよい。だが、それは相手になにかを伝える折角の貴重な機会をムダにするだけではなく、相手が読んだり聞いたりする時間をもムダにする行為だ。

 このため、時間を大切にする人が相手の場合などは、相手から“使えないやつ”と評価されてしまうリスクを伴っていることは理解しておくとよい。

 本来は動詞であったところを名詞にして体言止めすると、多義的になり、相手に解釈の手間をとらせ、結果として一瞬では相手に伝わらなくなる。このため、速く魅力的に伝える『超・箇条書き』では体言止めはご法度なのだ。