民意がきちんと政策に反映されていないとの不満を抱いている人は、多いのではないか。政治家が有権者に歩み寄るのは選挙の時だけで、それ以外は特定の声だけに耳を傾け、対話すら億劫がる。民意を丁寧に集めようとせず、その変化にも無頓着。そんな不信の思いが首長や議員に向けられている。もはや選挙という間接民主主義だけではなく、直接民主主義の手法も活用すべきではと思う人も少なくないはずだ。代議制を補完する制度の活用である。つまり、住民投票だ。
しかし、民意を直接問う住民投票が実施されるケースは、きわめて少ない。行われたとしも、市町村合併や首長・議会の解職(リコール)を問うものばかりだ。政策や事業の是非を問う事例は皆無に近い。
それもそのはずである。地方自治法に規定のあるリコールなどとは異なり、各自治体が条例で住民投票制度を設けなければならないからだ。民意を代表している建前の議会が、これに難色を示す。自分たちの存在意義を侵すものと判断し、反対するのである。
また、こうした議会側の反応がわかりながら、あえて火中の栗を拾おうとする奇特な首長がいるはずもない。ややこしいことになるのが、明白だからだ。こうして、民意とのズレが広がった事業も粛々と進められることになる。民意と乖離した事業が見直されることなどめったにない。これが日本の民主主義の偽らざる姿といってよい。
長野県佐久市で昨年、公共事業の進め方を問い直す画期的な出来事があった。市が計画していた総合文化会館の建設の是非を問う住民投票が、昨年11月14日に実施されたのである。
佐久市の総合文化会館建設事業は、1986年にまで遡る。市内の文化団体などからの要望により、市が建設の検討を開始した。議会側も建設推進の旗を振り、市の一大事業に浮上した。だが、一気に事業着手とはならなかった。百億円近くにのぼる大型公共事業である。市の財政事情などから事業は足踏みを続けた。
膠着状態が解けて動き出したのは、2005年4月の市町村合併がきっかけだった。旧佐久市は近隣の臼田町、浅科村、望月町と新設合併し、新・佐久市となった。この合併を機に、JR佐久平駅近くに用地を取得(約31億8000万円)した。合併特例債を活用したのである。こうして、大型公共事業が大きく動き出した。計画された会館は1500席規模の大ホールを擁し、総事業費(土地代込み)は約99億円にのぼった。維持管理費は年間約1億6000万円以上と試算された。
しかし、会館の建設検討から四半世紀が経過し、社会状況は激変していた。市民の間に必要性そのものへの疑問や財政負担への不安が広がり、市を二分する問題に発展していった。2009年4月の市長選で、会館建設に「慎重な検討」を公約した柳田清二氏が初当選した。それも、建設推進の候補に大差をつけての勝利だった。