多くの人が指摘するのは「ポリティカルコレクトネス」だ。日本語では「政治的正しさ」「政治的妥当」などと訳すことが多い。つまり、その社会で公に話す際の「適切な」話し方、もっと端的に言えば「炎上しない表現」を指す。政治家が何かを発言する場合、言葉尻をとらえられて批判されることが多くある。そうならないように、中立かつ不快感を与えないような表現を使うことから来た用語だ。

 例えば、フェミニズムの観点から、ビジネスマンではなく、ビジネスパーソン、チェアマンではなく、チェアパーソンといい、人種平等の観点から、黒人(Black)ではなく、アフリカ系アメリカ人(African American)、インディアンではなく、ネイティブアメリカンという。こういう表現を用いることで、「自分は差別的ではない、政治的に正しい態度を持っている」ことを示すためのものだ。

 この政治的正しさは、社会心理学ではもう少し広い概念として「社会的望ましさ(Social Desirability)」という用語であらわされる。特にアンケート調査の方法論を学ぶときに、重要視される用語だ。例えばアンケートに「あなたは〇〇人に対してネガティブな印象を持っていますか?」とストレートに尋ねたところで、「はい」と答える人は少ないだろう。本当のところはネガティブな印象を持っていても、それはアンケートで実際に答えてしまうのは「社会的に望ましくない」ことである。

アメリカ人にもある
「本音と建前」

 なので、そういう人々でも本心は明かさず「建前」で「いいえ」と答えがちになるのだ。「本音と建前」は西洋人が日本文化の特徴を語るときに、よく持ち出される言葉だ。だが、数々の心理学実験によって、西洋人でも「本音と建前」の使い分けは、(皆が思うよりもずっと)顕著だということがわかっている。

 筆者が1990年代後半にロサンゼルスに留学していたころ、カリフォルニアで、アファーマティブアクションの是非を問う投票が行われた。アファーマティブアクションとは、人種的マイノリティ、特に黒人に対して、政治的な便宜を図る措置である。歴史的に黒人が差別されてきた背景から、黒人をある程度優遇し、多くのチャンスを与えることで、差別や格差の再生産を防ぐための措置である。具体的には、州立大学の合格者の一定割合を必ずマイノリティにする、公務員にもマイノリティを一定割合で採用する、といった措置だ。

 筆者の通っていたUCLAは全米の中でも最もリベラルな大学の1つだ。黒人やアジア人の比率も多く、筆者か通っていた90年代の後半でさえ、すでに学生の半数近くが白人系ではない、マイノリティだった。つまり、アファーマティブアクションを最も支持するような大学だった。

 筆者の指導教員は、ベテランの教授で数理社会学の専門家だった。穏やかで物腰の柔らかい、思慮深い先生で、筆者は公私ともに随分とお世話になった素晴らしい人物だった。