この国の異常なこと

 結局、我が国の近世、近代史は、二度に渡って戦の勝者が書いたまま今もなお検証されていないということである。

 まずこのことが、異常なのだ。

 実は、大東亜戦争敗戦という民族の悲劇は、その基因を明治維新に求めることができるのだ。
 このことに私は確信をもっている。

 既にこれまでの著作でそのことを示唆しているが、明確に明治維新と大東亜戦争への流れを整理する作業は、これからの仕事として残されている。

 尤(もっと)も、明治維新とひと言でいうが、そのような名称の事件や政変は日本史上のどこにも存在しない。
 こういうことも、この百五十年近くの歴史が全く検証されていないことの一つの証左であろう。

 それはもはや、怠慢という域を超えており、犯罪的であるといってもいいのではないか。
 このために、国家が独立を失い、異民族に占領統治されるという時代を経てもなお、官軍教育=薩摩長州史観(薩長史観)は生き続けているのである。

 私たちは、薩長史観による明治維新とGHQ統治という二つの大きな歴史を検証するという宿題を放置したままなのだ。

 私は、『明治維新という過ち』以降の著作に於いて、前者について、即ち、明治維新に対するこれまでの認識、理解に異議を唱え、まずこれを検証しようとしている。

 それが正しくできれば、「二度と過ちは繰り返しません」というフレーズの過ちも、もう一つの未検証歴史である戦後アメリカ統治に於けるアメリカと戦後日本人の過ちも、鮮明に浮かび上がらせることができるのではないだろうか。

 私は、できるだけ長い時間軸を引いて歴史を観察し、考える必要性を事あるごとに強調してきた。
 となれば、明治維新が民族としての過ちであったかどうかを考えるについては、その前の時代まで、即ち、江戸期までその時間軸を延ばす必要がある。

 明治新政権がそのすべてを固陋(ころう)、陋習(ろうしゅう)に満ちた時代として江戸期を全否定したことこそ、明治維新最大の過ちなのである。