震災への受け止め方は人それぞれ。
反応の仕方も人それぞれでいい
被災地では多くの人が命を落とし、いまだ行方不明の方が多数いらっしゃいます。そのなかで、何日が経ってから家族の生存が確認された人が、テレビのインタビューに「周りの人たちのことを思うと、申し訳ない」と語った姿が印象的でした。
「私じゃなくてよかった」と思える状況でも、罪悪感を持つ人が少なくないのです。そして、これは直接被災していない地域の人たちにも見られる現象です。共感疲労を端緒とした罪悪感と言ってもいいでしょう。
ある人は、何も被害を受けていないことが申し訳ない、無事でいることが申し訳ないと言います。考え方としては珍しいことではなく、戦場や被災地を取材したジャーナリストが、何も被害を受けていないことに罪悪感を抱くケースは以前からありました。
今回の大震災でも、被災地の取材から帰ったテレビのレポーターが、周囲がものを食べたり飲んだりしている姿を受け入れられず、自分がいたもとの世界に戻れなくなったという話を聞きました。ジャーナリストが抱く心理としては不思議ではありませんが、一般の人にまでその傾向が表れている点が今回の特徴です。
もう一つは、何も支援できなくて申し訳ないという考えです。多くの人がボランティアやチャリティをやっているのに、自分は何も行動していない。まして、自分は義援金もあまり多く払う余裕がない。そんな人が、誰かに強制されたわけでもないのに、自分を責めてしまう。こんなことで心を痛めている人がいるというのは、本当に不幸なことです。
いまや日本は一致団結して「自粛」をしようという空気が蔓延しています。それはあたかも一人ひとりの行動を強制的に制するかの雰囲気が漂っています。自粛をしないと「不謹慎」と白い目で見られてしまう。これは社会として決して健全ではありません。
一人ひとり、今回の震災の受け止め方は違い、それに対する対応も違って当然です。それを共感を押し付けるかのような動きによって、多くの人が苦しんでいます。