他人事として捉える
「分離」のメカニズムで心の平衡を保つ
とはいえ、精神科医も人間です。ときには思わず涙してしまうこともあります。100パーセント共感しないということはあり得ませんし、やろうと思ってもできません。
特に家族や親しい友人であればなおさらです。日常生活のなかで他人に共感するのはごく自然な感情ですが、心が疲労するところまで至らないのが普通です。
災害が起こると、直接関係のない人は、どこか高みの見物のようなところがあるものです。
災害の映像を見て「たいへんね」と思いながらも、「私じゃなくてよかった」「私の大切な家族は無事でよかった」と考える。被害者に同情しながらも、わが身と家族の安全を確認し、安心するのです。これは決して卑屈な考えではなく、どんな悲惨な事件や災害でも必ず起こる健全な心理です。自らの身を守るためのメカニズムといってもいいです。
ところが、今回の大震災は「私じゃなくてよかった」とは考えられないほどの規模でした。「私には絶対に起こらない」と安心できる材料もありません。原発の被害まで含めると、今回の災害を他人事として切り離すことができないのです。
他人事として切り離す行為は「分離」という心のメカニズムで、誰にでも備わっている心の防衛反応です。何かが起きたときに「これは私のことではない」と思うことで、心が不安定な状態に陥るのを防ぐ機能です。
被災していない人たちの心を共感疲労が支配し、「分離」メカニズムが働かない一方で、被災地にそうした人たちがいます。すべてを失ったのに、淡々としているのです。あまりにひどいことが起きたためある種の「分離」が起こり、どこか人ごとのように振る舞うことで心を落ち着かせているのだと思います。
ただしこの場合、心の崩壊を防ぐための一時的な「分離」は必要ですが、それが続く事態は避ける必要があります。すべてを失ったという現実が襲ってきたときに、パニックになってしまうからです。当初の緊急避難的な心理として「分離」は有効ですが、少しずつ現実を受け入れる方向に向かわなければなりません。