自分の姿がみすぼらしく感じられた隆嗣は、恥ずかしさを隠すように言葉を選んで応対した。
「伊藤隆嗣といいます。現在の中国社会を少しでも理解したいと思って来ました」
「イータンロンス、どんな字を書くんですか?」
隆嗣が自分の左の掌を差し出し、その上に右手の人差し指で漢字を書き表した。
「ふうん、四文字なのね。日本人の名前は長いわ」
「ええ、上の二文字が姓、名が下の二文字です。あなたは?」
すると彼女は隆嗣の左手を取り、その開いた掌に細い右手の人差し指で『江立芳(ジャン・リーファン)』という三文字を記した。
自分の手首に添えられた彼女の手のひんやりとした感触と、掌になぞられるくすぐったいような指先の動きに、隆嗣は動悸が早くなるのを自覚する。
「芳り立つ、ですか。綺麗な名前ですね」
彼女にぴったりの名前だと思った。
「ありがとう。伊藤さんは中国のことを理解してどうするんですか?」
「え。ええと、日本では開放政策が始まった中国に注目しています。隣国の人間として、これからどのように付き合っていかなければならないかを学ぶ必要があると思います」
留学時に貰ったパンフレットに書いてあった提言そのままに答えてしまった。
「そう。でも、中国で暮らして十分判ったでしょう? この国はまだまだです。経済も、そして民衆の認識も。共産党という名の皇帝が治めている封建国家のままよ」
隆嗣は思わず周りを見回した。ユーロビートの喧騒は続いており、幸い自分たちに注意を向けている人間はいないようだ。今まで出会った中国人の中で、このように辛辣な体制批判をした人はいない。