病気や老いはみじめなことではない

弱さを認めることが<br />「がんばらない介護」の一歩(c)清水貴子
橋中今日子(はしなか・きょうこ)
理学療法士。リハビリの専門家として病院に勤務するかたわら、認知症の祖母、重度身体障害の母、知的障害の弟、の家族3人を21年間にわたって1人で介護する。仕事と介護の両立に悩み、介護疲れをきっかけに心理学やコーチングを学ぶ。自身の介護体験と理学療法士としての経験、心理学やコーチングの学びを生かして、介護と仕事の両立で悩む人、介護することに不安を感じている人に「がんばらない介護」を伝える活動を全国の市区町村で展開中。企業では、介護離職防止の研修も担当。ブログ「介護に疲れた時に、心が軽くなるヒント」では、「介護をしていることで、自分の人生をあきらめないで!」「あらかじめ対策を知っておくことで、問題は回避できます!」といった介護疲れを解消し、心がラクになる情報を発信中。NHK、TBSほか、テレビやラジオでも活躍中。

【橋中】私は幼少時代、母といい関係ではなかったんです。大人になって、母を介護し、看取る経験の中で、家族のきずなって何だろうと、あらためて考えました。24時間、一緒にいることじゃないですよね。人が生きていくこと、死ぬことは、けっして哀れでもみじめでもない。病気になっても、老いても、認知症になっても、一生懸命、人生を歩いてきたんだと。母の姿を見ながら、そう教えてもらった。それが家族のきずなじゃないでしょうか。
【落合】今までもそうだけど、現在の社会は、病気にならないためにどうしたらいいかが、メインテーマになっているでしょう。自覚はないかもしれないけど、これは、ひとつ間違うと、病気になった人を切り捨てる言葉だよね。でも、そうではない。病気になっても人生は続いていく。それをサポートするのが社会であり、福祉であるという呼びかけをしていかないと。

【橋中】そう思います。
【落合】長生きした高齢者が、つらい思いをしながら「こんな私になって、みなさんにご迷惑をかけて申し訳ない」とおっしゃる。違うんですよね。存在していることが、1つの大きな力なんだと、私たちはもっと伝えなきゃいけない。

【橋中】ほんとうに、生きていてくれるだけで、家族にとっては大きな力です。
【落合】橋中さんのご本に重ねて言うと、高齢者はずっとがんばってきたのだから、もうがんばらなくていい。ゆっくりしてくださいと。私自身、もう高齢者ですが、「がんばらなくていい」と言い続けなくてはいけないと思います。

【橋中】このあいだ、トイレの場所さえ定かじゃない認知症の祖母が、いったいどこから見つけてきたのか包丁を出してきて、私に「ハッサクをむいてあげたい」って言うんです。家族の役に立ちたいという気持ちの表れなんですが、そこに気づくと、介護しているほうも救われますね。がんばろうとしている本人に「がんばらないで」と言うのは、むずかしいんですけど。
【落合】認知症でも家族への思いはちゃんとあるから。

【橋中】それを受け取ると、自分の身体を大事にしなくちゃと思います。私になにかあったら、祖母が悲しむだろうと。そこに行きつける。私は一時期、がんばりすぎたからこそ、みなさんに「がんばらないで」と言えるんです。
【落合】それが橋中さんのミッションじゃないかな。そうはいっても、お祖母様や弟さんのこともあり、がんばっちゃう人だと思うけれど。疲れたときは、どこかで息抜きしてほしい。ホテルのベッドで大の字になって眠ってもいい。食べたいものを食べるでもいい。好きな洋服をいっぱい買っちゃうでもいい。なんでもいいから、自分のためにお金や時間を使う。課外授業みたいな、お休み時間をつくってほしい。社会も必要としている存在ですから。

【橋中】クリスマスシーズンに、東京ディズニーシーでデートしたいというささやかな夢がありまして。いまだに実現してないのが悲しいんですけど。アトラクションで遊ぶより、きれいなイルミネーションを見ながら、好きな人と手をつないで歩きたい。夕暮れからゴンドラに乗る自分を妄想するんです。毎年、ああ、無理だったとがっかりしてるんですけどね(笑)。今年こそは、かなえたいです。
【落合】そういうちょっとした喜びも、人を支えてくれますよ。私は母を介護しているとき、部屋から見える場所に、季節の花の種や球根を植えたの。医師からは「もうわからない。何があっても不思議じゃない状態です」と言われていたけどね。でも、花の好きな人だったから、風に揺れる菜の花や、つるの先に咲く花を、母はじっと嬉しそうに見ている。意志の疎通ができなくなっても、つきあい方は無限にあるんじゃないかな。すべてはできなかったけれど。