ある日、突然やってくる介護。私たちはどう向き合い、どう乗り切っていくべきなのか。ともに介護を経験されている、作家の落合恵子さんと橋中今日子さんに、介護から学んだこと、これからの介護の課題について語っていただきました。落合さんは、エッセイ(『母に歌う子守唄~わたしの介護日記』『同 その後』)で母親を介護した7年間をつづり、橋中さんは、認知症の祖母、重度身体障害の母、知的障害の弟の3人を21年間1人で介護した経験をベースに、このたび『がんばらない介護』を上梓しました。 (2017.3.2クレヨンハウスにて 構成・文:立野井一恵)

定収入があるのは大きな支え

仕事があるから乗り切れる(c)神ノ川智早
落合恵子(おちあい・けいこ)
1945年栃木県宇都宮生まれ。執筆と並行して、子どもの本の専門店、女性の本の専門店、オーガニックレストラン等を主宰。2016年12月に40周年を迎えた。総合育児雑誌「月刊クーヨン」、オーガニックマガジン「いいね」発行人。また、16年夏にはオーガニックコットンを素材とした洋服「Ms.crayonhouse」をデザインし、販売している。社会構造的に「声が小さい側」に追いやられた「声」をテーマに執筆。最近の主な著書は、『てんつく怒髪』(岩波書店)、『おとなの始末』(集英社新書)、『「わたし」は「わたし」になっていく』(東京新聞出版)、『質問 老いることはいやですか?』(朝日新聞出版)ほか、絵本の翻訳など多数。「さようなら原発1000万人アクション」「戦争をさせない1000人委員会」呼びかけ人。

【橋中】私は14年間、理学療法士として病院に勤務していました。現場はギリギリの数のスタッフで回っているので、1人抜けるのは大きな痛手です。最初は「非常勤は必要ない。6ヵ月休んでいいから常勤できる体制をつくって、戻ってきなさい」と言われたんですね。でも、介護は半年で終わるわけじゃなくて…。
【落合】そう、どれぐらい長くなるか、予想がつかない。

【橋中】当時、私は在宅介護にこだわっていたんです。半年が過ぎて復帰するとき、「がんばってみましたけど、施設がいっぱいで入れません」と、環境を言い訳にしました。そのうえで「家族の中で稼ぎ手は私だけだから、仕事は辞められません」と伝えたんです。前例がないので上司も悩みましたけど、「じゃあ、非常勤でしばらくがんばってみて」と言ってくれたんです。
【落合】譲歩してくれたのね。

【橋中】半年ごとの更新で、3年近く非常勤勤務を続けました。でも、職場としても結果的には前例ができてよかったんです。若いスタッフが多いので、産休に入る人が出てきた。以前は出産・育児で辞める人が多かったんですが、私を見て非常勤なら続けられることがわかった。子どもを幼稚園に預けている時間帯だけ働くとか。人手がほしい時期に入ってもらうと、現場が助かるんです。
【落合】その時期をどう乗り切って、仕事を続けるかは大きな課題ですね。

【橋中】ただ、非常勤になると、残念ながら給与は下がってしまいます。でも、金額が物足りなくても、継続的な収入があるのは大きいですよね。復帰の足がかりにもなるし。ほんとうは経済的な見返りがもっとほしいところですが。
【落合】看護師さんやヘルパーさんの収入は少なすぎる。介護の現場を背負ってくださっているのに、報酬がこんな状況では…。精神的にも肉体的にもハードなお仕事ですよね。

【橋中】そもそも非常勤だけでなく、医療・介護の分野で働く人たちの報酬が低すぎますよね。しかも、介護保険の制度改正で、さらに下がる傾向にあります。
【落合】予算がどんどん削られて、ヘルパーさんを派遣する居宅介護事業所の経営も大変になっているでしょう。その結果として、利用者側も以前は可能だったサービスが受けられなくなっている。どう見ても要介護4くらいの方が、要介護1に認定されたりするケースがあります。

【橋中】ええ。びっくりすることがあります。
【落合】そういう場合は異議申し立てができる。「ケアマネさんや役所の窓口で相談しないとダメですよ」と言うんだけど、高齢者はその交渉がなかなかできない。そういう現実にもっと光が当たらないといけないんですよね。

【橋中】地域包括支援センターが間に入って、ようやく改善されるんですよね。サービスを受けるのは当たり前なのに、家族も申し訳なく思っちゃうんです。40代の友達ですら、「ケアマネさんに自分の都合を言っていいの?」と聞いてくるくらいです。
【落合】今だから言えますが、母を介護しながら、仕事をしていたとき、同世代の女性に比べたら、多くの収入を手にしていた現実もあります。私にとってそれは長い間、劣等感でした。

【橋中】えっ、そんな。
【落合】私費でいくら、介護保険が始まっていくら、という経済面はぼやかして書いていたんです。同じ年代の、たとえば会社員の女性は、そうはいかない、と。それがすごくつらかった。