「正義か否か」の判定には
感情が大きく関わっている

 しかし、多くのニュースで触れられていたように、化学兵器を使ったのは、本当にアサド政権なのか、ほとんど検証されていなかった。実際、アサド政権にとって化学兵器を用いるメリットはまったくと言っていいほどない。にもかかわらず、アメリカは問答無用でトマホーク59発を撃ち込んだ。アメリカ政府がアサド政権の化学兵器使用の証拠をつかんだと発表したのは、この爆撃後4日経ってからだった。

 それでもアメリカ世論は好意的に見ているのだ。これは「正義」だと。

 最近起こった、この2つの国での出来事は、「感情的正義」の力の大きさを端的に示している。

 もともと、正義についての研究は、公共哲学を中心とする思弁的な学問分野で主に行われてきた。その歴史は、ギリシャ哲学にさかのぼるほど古いが、目的はシンプルである。それは「正義とは何か」を知ることだ。さまざまな正義の定義や基準が多くの学者によって研究されてきた。その果てには何か統一的で共通する「正義像」があるのではないか、という期待が、それらの研究分野の前提にある。

 その1つの到達点と言われるのが、アメリカの政治哲学者、ジョン・ロールズの著した『正義論』だ。詳しいことは割愛するが、彼はこのなかで「無知のヴェール」、「正義の二原理」という重要な概念を提唱し、正義論の発展に大きな影響を及ぼした。

 ロールズを含むそれら正義論の特徴は、理性、論理によって「何が正義か」を思考していくことにあった。しかし、近年はそれとは異なるアプローチが台頭している。

 その授業の面白さで、日本でもブームとなったマイケル・サンデル(ハーバード大学教授)は、正義の判断には、感情が重要な役割を果たすとし、それをむしろ積極的に肯定している。

 そして、近年の脳科学、心理学の研究でも、これを支持する結果が出ている。私たちが「○○は正義かどうか」を判断する際には、「島」や「扁桃体」といった主に感情を司る脳部位が、「側頭頂結合部」や「上側頭溝」などの論理や推論を司る部位と同じ、あるいはそれ以上に関与していることが明らかとなってきた。

 これらの結果が示しているのは、「何が正義」かという主張は、方便さえ整えば、人々が「気持ちいい」「溜飲がさがる」という方向に簡単に流れる可能性があるということだ。