「逃げ道」のない場所で人間は鍛えられる
その意味で、私は幸運でした。
なぜなら、入社2年目に赴任したタイ工場で、図らずも「心の持ち方」を変えざるを得ない状況に追い込まれたからです。
赴任後しばらくして、「タイ人従業員による在庫管理が混乱しているので正常化してくれ」と上司に指示をされた私は、在庫管理の改革に取り組むことにしたのですが、何の肩書もないペーペーです。「舐められたらダメだ」と気負った私は、無理して強い姿勢で彼らに改善を要求。これが、思いもよらないトラブルを生み出したのです。
タイ人従業員の猛烈な反発を食らったのです。そして、在庫管理が適正化するどころか、職場が機能不全に陥りかけたのです。上司に泣きついても、「それはお前の仕事だ」と突き放されました。にっちもさっちもいかなくなったのです。
そのとき、当初、私は「自分は悪くない」と思っていました。 私が懸命に適正な在庫管理を指導しているのに、一向に聞き入れようとしないタイ人従業員が悪い。いくら忙しいとはいえ、困難を抱えている部下を突き放す上司が悪い。そもそも、入社2年目で経験の乏しい私を、工場の立ち上げ真っ只中で、戦場のように忙しいタイ・ブリヂストンに放り込んだ会社が悪い。なぜ、自分だけがこんな目に遭わなければならないのか……。そう思っていたのです。
しかし、そんなことを考えていても、何ひとつ問題は解決しません。
それどころか、状況は悪化するばかり。次々と倉庫に持ち込まれる新しい製品が床に溢れ、出荷待ちの製品はうずたかく積みあがる一方。タイ人従業員のなかで孤立していた私は、なすすべもなく茫然と“惨状”を見つめることしかできませんでした。何もかも放り出して日本に逃げ帰りたい。そう思いましたが、日本に帰る航空運賃を支払うお金もない。私には、「逃げ道」がなかったのです。
それは、実にストレスフルな状況でした。しかし、これがよかった。なぜなら、私は考え方を変えざるを得なかったからです。間違っていたのは自分なのだ。誰かのせいにしても、環境のせいにしても、状況は悪化するだけ。変わらなければならないのは自分だと、考えを切り替えるほか「道」がなかったのです。
そして、私はそれまでの姿勢を180度転換。
タイ人従業員に「要求」するのではなく、彼らとともに汗を流すことによって、仲間として受け入れてもらう努力を始めたのです。正直なところ、彼らの輪のなかに入っていくのは怖かった。「若造のくせに偉そうにしやがって……」と総スカンを食らっていたのだから当然です。内心ビクビクしながら、なんとか笑顔をつくって、必死で彼らとコミュニケーションを図っていったのです。