「優れたリーダーはみな小心者である」。この言葉を目にして、「そんなわけがないだろう」と思う人も多いだろう。しかし、この言葉を、世界No.1シェアを誇る、日本を代表するグローバル企業である(株)ブリヂストンのCEOとして、14万人を率いた人物が口にしたとすればどうだろう?ブリヂストン元CEOとして大きな実績を残した荒川詔四氏が執筆した『優れたリーダーはみな小心者である。』(ダイヤモンド社)が9月22日に発売される。本連載では、本書から抜粋しながら、世界を舞台に活躍した荒川氏の超実践的「リーダー論」を紹介する。

「指導」する前に、絶対に押さえておくべきこと

 リーダーシップとは何か?
 辞書を引けば、「指導者としての能力・資質」(『大辞林』三省堂)と記されています。しかし、指導者として「誰か」を指導するためには、その前提として絶対に押さえておくべきことがあります。

 それは、目の前にある困難を誰かのせいにしたり、環境のせいにしたりしないということ。現状に問題があるならば、まず真っ先に自らの対応に問題がなかったかを真摯に省みる。そして、解決策に知恵を絞り、率先して行動をする。これができない人が、「誰か」を指導しようとすると、とんでもない間違いを犯してしまうので十分に注意する必要があります。

 当然のことです。
 想像してください。業績の悪化している会社で「お前が悪い」と部下を責め続ける社長がいたらどう思うでしょうか? 誰もが唾棄すべき存在だと思うはずです。もちろん、部下にも生活がありますから、露骨な反発は避けて、社長の叱責に耐えるでしょう。そして、社長の指示に従って何らかの行動を起こすでしょう。

 しかし、こんなものはリーダーシップでも何でもない。その部下の行動は、ただただ叱責を避けるためのものにすぎず、そこには自発的な意思のかけらもありません。そのような形だけの行動がよい結果に結びつくことなどありえないのです。社長本人は、部下を動かしてリーダーシップを発揮していると勘違いするかもしれませんが、実際には、それぞれの意思と知恵を持った個々人の集合体である組織を”烏合の衆”化し、機能不全に陥らせているにすぎないのです。

 あるいは、業績悪化の要因を経済情勢に帰そうとする社長がいたらどう思うでしょうか? 
 私は、自らの存在意義を自ら否定しているだけだと思います。なぜなら、経済情勢が悪ければ経営も悪化するのであれば、誰が社長をやっても同じことだからです。であれば、社長などいらないではありませんか。そんな社長がどんなに立派なことを口にしても、本気でついていこうとする部下などいるわけがないのです。

 ときどき、業績悪化の要因として「社会変化についていけなかった」という言い訳をする社長を見かけますが、これもリーダー失格と言わざるを得ません。あらゆる社会変化は、もとをたどれば一個人の行動に突き当たります。であれば、リーダーたるもの、「自分こそが社会変化を起こす」という創造的発想をもたねばならないはず。にもかかわらず、「社会変化についていけなかった」などと“犠牲者”ぶっているようでは、誰もリーダーとは思わないでしょう。