人に見せられない日かげの部分も人間としての魅力の一部
昔の芸能人は、歌っているときや舞台に立っているときを除いて、プライベートを公開することはありませんでした。
いまはすべてとは言わないまでも、ツイッターやブログで私生活を公開する歌手や俳優が多いようです。さらに、妊娠した、子育てをしているなど生き方そのものを公開することが仕事になっているタレントさんも数多くいます。
一般の人も芸能人と同じように私生活を公開するようになっていますが、現代は生活のすべてを公開できる人生が健全だという風潮が強まっているように感じられます。
しかし、人間はどんなにこだわりを持とうとしても、すべてにこだわりを持てるわけではなく、生活のすべてを人に見せようとしても、必ず人に見せられない時間は残ってくるものだと思います。
それなのに、すべてがスポットライトを浴びる方向へ進もうとしているのが現代という時代のように思えてなりません。
現実的に、それは不可能だと思います。
人間には、日なたの部分がある反面、日かげの部分があって当然です。
私はむしろ日かげの部分は必要だとさえ思っています。日なたと日かげの陰影があるからこそ、人は人としての魅力を包含することができると思うからです。
現代は、日なたの部分だけをことさらに見せ合う社会になってしまったのかもしれません。そこでは、日かげの部分があってはならないという風潮が生まれています。
もちろん、日なたの部分を自己演出するのはいいことだと思います。だからといって日かげの部分を縮小する必要はありません。
日なたの部分を見せ合っているだけでは、人間の魅力を伝え合うことができないのではないでしょうか。