自分のこだわりを公開することが求められている
スマートフォンのなかには、ツイッターと連動して自分がいま聴いている音楽をリアルタイムで公開するシステムがあるそうです。
公開するからには「コイツ、センスいいよね」と思わせたい。常に他人の予測を超える選曲を強いられ、とても「格好悪い」音楽など聴けません。これは、想像以上にたいへんなことだと思います。
統合失調症のひとつの症状に「テレビ体験」というものがあります。
これは、自分のことが常に見られていて、それがテレビを通じて全国に流されていると妄想してしまう症状です。
私はこうした症状に苦しむ患者さんを見てきたので、ツイッターやブログで自分の私生活のすべてを公開する行為に驚きを抑えきれませんでした。
最近、そのことについて学生と議論しました。彼らは、自ら主体的に公開しているツイッターやブログは嫌だったら自由に削除できるので、意図せず公開されてしまうこととは違うと言います。しかし…。
現代社会は自分なりのこだわり、選択の理由づけを強く求めるようになっています。そのため、他人の目にさらされた場合どう評価されるかという意識で生活しなければならなくなっています。
こだわりがないと格好悪い。こだわりを表現するよう常に意識的にすごす。自分の行動にはすべてに意味がある。ぼんやりしている時間などありません。
私は、これが強いストレスになっているのではないかと考えています。
本当はこだわりなどなく、私生活を他人に公開などしたくなくても、周囲がみな公開しているからという強制感があると思うからです。