混沌とした時代を生き抜いた
天才起業家

 伊神照男氏は、早稲田大学を出て、一度電気関係の会社に就職するも、3ヵ月で退職して、一国一城の主を目指す。
 銀座で古本の露天商をやったり、りんごを売ったりと様々な小さなビジネスを経て、ナルミ屋という菓子店を始める。
 ナルミ屋の菓子は評判になり、軌道に乗る。
 ただし、伊神氏の起業家精神は止むことを知らない。戦争の気配が漂う中で、満州という海の向こうの大地で、ビジネスを始めようと動き出す。
 しかも、菓子屋ではなく、建築関係の会社をそこで興してしまう。
 ナルミ屋は妻と従業員に任せて、自分は満州に渡り、新しいビジネスに夢中になった。
 伊神氏は、常々、娘の稲垣篤子氏にこう言っていたという。

「一家を背負え」
「背負えば背負うだけ力が出てくるんだから、背負え」

(稲垣篤子著『1坪の奇跡』より)

 もしかして、今の若い世代に、この感覚を理解しろというのは酷なのかもしれない。
 僕の世代でも、実感としてわかるとは、軽々しく口にすることはできない。しかし、我々も、生きるために、家族のために人が懸命に働いていた時代があったということを知っておかなければならない。

 そう、実はそれはどの時代も変わらないことではあるが、とかく、今の時代、あまりに平和で物が溢れ、仕事もあるので、こういった本質的で基本的な働く定義を忘れてしまいがちになる。

 伊神氏や稲垣氏は、間違いなく、生きるために働いた人だった。
 背負った多くの人のために働いた人だった。
 背負えば、背負うだけ、力が出てくる。
 この言葉は、僕もようやく社員を10人ほど抱えるようになって、朧げながらわかってきた。

 ひとりで自由にやれるときほど簡単なことはない。
 従業員や家族を背負うとなると、自分の自由だけの問題はなくなる。
 ただ、伊神氏が言うように、ある種の適正な重圧のもとに、人はすぐれたアイデアを出し、仕事を最後までやりきる責任感を持つのではないか。その先にしか、本当の意味での「自由」はないように思える。

 重圧なき、弛緩した「自由」は、ファンタジーにすぎない。ただ、その自由は、たんなるモラトリアムにすぎず、あるいは、懸命に働く親や上司、同僚など、人の背に体重を預ける自由でしかないのかもしれない。そんな自由は、儚く、もろく、消え去るに違いない。