「病気でしばらく休んだというのはあったけど、日産の役員になれなかったのはやっぱりという感じだった。悪口もいろいろ聞こえてきていたしね。しかし、久米さん(久米豊・元日産社長)がぼくのことをかわいそうに思ってくれたのか、代わりとなる場を作ってくれたんだ」

 桜井氏は生前、取材の余談でこのように思い出話を語っていた。

 このような経緯で発足したオーテックジャパンは、日産本流というカラーのニスモとは対照的に、プリンス色がきわめて強い会社となった。

 現社長の片桐氏が“匠の技”という言葉で表現したが、良くも悪くも市場をまったく見ず、作りたいものというより作ってみたいものを作るという、極端なプロダクトアウト型のクルマ作りを展開した。

 1992年に発売した「スカイライン・オーテックバージョン」は、「スカイライン」の5ナンバー4ドア4WDをベースに「スカイラインGT-R」の2.6リットルターボエンジンからターボを取り去ってメカニカルチューニングを施したものを搭載。そして変速機は4速ATのみというクルマだった。乗ってみると、スカイラインGT-Rに比べれば鈍足もいいところなのだが、エンジンの切れ味と排気音だけはすさまじいものがあった。販売台数は200台にも満たなかった。

良くも悪くも“本領”発揮した
奇抜な「オーテック・ザガート・ステルビオ」

オーテック・ザガート・ステルビオ Photo by yurimo

 オーテックジャパンの“本領”が発揮された最たるものは当時、前衛的なデザインを連発することで有名だったイタリアのカロッツェリア・ザガートとのコラボレーションモデルだろう。

 日産の2ドアクーペ「レパード」をベースとし、フルオリジナルの内外装と強化されたエンジンが与えられた「オーテック・ザガート・ステルビオ」は、カブトガニのような奇妙な形状のボンネットを持った、世界に類例のないデザインのクルマだった。価格は1800万円と、こちらも度肝を抜かれる数字だ。