──早稲田大学大学院の学者である西條さんが、どうやってGACKTさんとつながったのですか?

西條 GACKTさんとつなげてくれたのは、ファンの方なんです。GACKTさんと僕に対してツイッターの「メンション」といって@のあとに名前を入れることで、その人にある種のメッセージとして送れる機能を使い、何度も「つながってほしい」と。それを見たGACKTさんが「はじめまして」と電話をくれたんです。

 その後、演出家の宮本亜門さんも直接連絡くださって、南三陸町に一緒に行ったりしています。そのつながりで、市村正親さん、大竹しのぶさん、木村佳乃さん、佐藤隆太さん、成宮寛貴さん、藤原紀香さん、別所哲也さん、南果歩さん、森公美子さん、森山未來さんなどの著名人の方々からもご支援をいただいています。

<動画1 GACKT氏、川崎麻世氏との鼎談>
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──すごいですね。西條先生はそういった芸能人の方と以前から交流されていたのかと思っていました。

西條 いや、そんなことはまったくありません。初めて話した芸能人がGACKTさんだったといってもいいくらいです(笑)。ツイッターで次々と著名人とつながって、事務所も何もないまま、瞬く間に広がっていったんです。

──そもそもその題材となる「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(以下「ふんばろう」)を立ち上げたきっかけは何だったのでしょうか?

西條 僕は仙台出身でして、今回の津波でおじさんが行方不明となってしまいました。最初に南三陸町に物資を持っていったのですが、文字どおり壊滅していたんですね。車でずっと走り続けるわけですが、すべてが破壊されているんです。これがそのときの動画です。テレビもいろいろ見ていたのでほんの少しは知ったつもりになっていたのですが、テレビではこれほどまでに伝わらないのかと、愕然としました。

<動画2 破壊しつくされた南三陸町の風景>
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 言葉を失って呆然と歩いていると、偶然、地元の名士で「さかなのみうら」さんの三浦保志さんに出会ったんです。「さかなのみうら」のお店は骨組みだけになって、3階建ての屋上に漁網がかかって凄まじい状態だったのですが、そこに唯一のカラーで「ふんばろう南三陸町 力をあわせて一歩ずつ」と書いてあったんですね。それを見て、これだけ悲惨な目に遭っていても、前を向こうとしている人がいる。多くを失っていない僕たちが本気になれば何だってできるんじゃないかと思い、「できることはすべてやろう」と、自分の中のリミッター”を外したんです。

<写真1 「さかなのみうら」の看板を見て“リミッター”を外した瞬間>