売上1億円達成のための閉店

翌日、朝10時の開店とともに桜子はまたやってきた。昨日とは変わって白のパンツに紺のジャケットを羽織り、ヒールを鳴らして店に入ってくる。
「おはようございます」
昨日対応した晴美が駆け寄ってきた。

「昨日は大変失礼いたしました。その……オーナーから話を聞きました。受付でのお声がけのこと、ありがとうございます」深々とおじぎをする晴美に、
「こちらこそ失礼しました。ぜひ、これからも社長を支えてあげてくださいね」
と声をかけ、桜子は案内されるまでもなく応接室に入った。

「さっそく昨日の続きを始めましょう」
応接室ではすでに華恵が待ち構えていた。一晩たって、肩の力が抜けたのか、
今日は表情が心なしかおだやかだ。
「あの後、終礼でもさりげなく『新しいお客様を獲得するにはどうするべきか』とうちのスタッフに聞いてみたんです。でも残念ながらあまりいいアイディアは出ませんでした」
申し訳なさそうに下を向く。

「中には店を閉店する……なんて意見も出ました。儲けが出てないのならば、本店を閉めてもいいんじゃないか、と。まあ、突拍子もない意見で……」
「あら、それは正解ですよ」
「え?閉店が正解なんですか?」
「そのスタッフ、なかなかいい勘してますね。この店、ここにある限りは『不妊に悩む人が来にくい店』ですから。新しいお客様は獲得しづらいんです」
桜子の言葉に、華恵の顔がみるみる青ざめていく。
「ど、どうしたらいいって言うんですか」
「だから、ここを閉めて、2号店に集中して営業をするんです。桜子の冷静な言葉に、華恵は立ちくらみを起こしそうだった。そんな様子を見て、桜子は再び続ける。
「最初に言ったように、あの看板を掲げている限り、お客様は来店しづらいんですよ。車で来たって目の前の駐車場に停めづらいですし」

「だ、だったら看板を作り変えたらいいんじゃないんですか」
「看板の問題だけではありません。そもそも郊外店で目の前の駐車場に車が数台しか停められない時点で致命的です」
「そんな……だからって、ここをやめる必要がありますか?閉店するなんて……」
「仕方ないと思います」
覆いかぶさるように放たれた、桜子のあまりにハッキリとした言葉に、華恵は言葉を失った。

「不採算店舗に足を引っ張られているよりも、1店舗に集中させて人員もそこだけに注ぎ込むほうが確実です」
華恵は大きく首を横に振る。

「それだけは……それだけはどうしてもできません」
華恵にとって、この店は特別な場所だ。創業の頃、この店をなんとか成功させるという思いで必死に働いた。3年後には隣の空き店舗スペースを借りて漢方薬の通販スペースにしたのも、今後の展開を考えてのことだった。そうやすやすと手放せるわけがない。
「できませんか?」
華恵の目を桜子がのぞき込む。
「最初の約束を思い出してください」
「あ……」
桜子が言ったことには絶対に従う約束―しかし、華恵はどうしても納得できず、なおも抵抗する。

「だって、やっとの思いで開業したんですよ!この場所にも、店舗にも、全てに思い出が詰まっているんです!」
「華恵さん、愛着があるのはとってもよくわかります。でも、店に執着するあまり本当に大切なものを見失っていませんか?このお店を必要としてくれるお客様のためにも、Hanaで働くスタッフのみなさんのためにも、これから発展的に継続するための経営改革が必要だと、儲かる仕組みづくりが必要だと、華恵さんは誓ったんじゃなかったんですか?」
思わず引きこまれるような視線に、華恵はたじろいだ。
「それは……」

「ずばり言います。キャッシュがつきかけている現状では、この店には2つの道しか残っていません。私の言う通りにしてすぐに売上1億円を達成するのか、このまま利益を出さずに指をくわえて潰れるのを待つのか。どちらを選びますか」
「わ、わかりました……」
桜子の力強い瞳にとらえられると、動けなくなってしまう。華恵はいちかばちか、かけてみるしかないと思った。
かくして「漢方・整体サロンHana」は2ヵ月後に本店を閉じ、横浜市西区にある商業施設内の店舗だけに集中することになった。

(続く)

【登場人物紹介】

遠山桜子[とおやま・さくらこ](45歳)「すぐに売上1億円を達成させる」敏腕コンサルタント
「儲けるなんて簡単よ」が口癖。数々の企業にビジネスモデル(儲かる仕組み)構築の重要性を説いている。類まれな分析力とアイディアの持ち主で、三度の飯よりビジネスが好きというほどの自称ビジネスオタク。隙のない風貌から、近寄りがたい雰囲気を醸し出しているが、実は愛情深く、人を喜ばせることが好き。

藤堂華恵[とうどう・はなえ](40歳)漢方・整体サロンHanaオーナー
不妊で悩む女性を助けたい一心で、女性の悩みに応える漢方・整体サロンを横浜で2店舗経営。元ミスキャンパスだった美貌を生かし、自らが宣伝広告塔となり雑誌やチラシで集客はできているものの、儲かってはいない。年商6000万円。