『20代に伝えたい50のこと』の著者、秋元祥治さんと、『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の著者であり、近著の『世界に一つだけの勉強法』も話題の坪田信貴さん。15年来の親友同士の対談は、「坪田さんの本は、確かに世界に一つだけの勉強法なのだけれど『大人のための世界に一つだけのそれぞれの成長法』でもありますね」という話から、様々な話題へと広がっていきました。今回は対談の前編です。(構成/森綾 撮影/石郷友仁)

『ビリギャル』を書くきっかけになった秋元さんの言葉

「自分には能力がある」「自分が中心でありたい」と思えば思うほど、<br />やる気はなくなる<br />【秋元祥治×坪田信貴(前編)】

坪田 15年ぐらい前から、岐阜にまだ20代の秋元さんという人がいるということは存知上げていました。塾の仕事をやっていたので、ほんとに友達がいなかったんですが、そんな友達がいない僕にも、秋元さんの噂は届いていました。
例えばレストランで小耳に挟む会話だったり。教え子の大学生が秋元さんに影響を受けていると言う話を聞いたり。これは心理学でカラーバス効果というのですが、自分のなかにアンテナが立つと、秋元さんの名前があちらこちらから聞こえてくるようになるのです。
けれど僕は人付き合いに消極的でしたから、秋元さんに会いに行こうとは思っていませんでした。それがたまたまある銀行の方からの引き合わせで、お会いすることになった。僕はその時、実はすごく嬉しかったのです。どういうことかというと「坪田さんは秋元さんと会った方がいい」と言われた瞬間に、僕は彼と同じステージに立てていると思ったんです。
初めてお会いした時に意気投合したし、コミュニケーションすることが楽しいと思った。それからご飯を食べるような友達になって。今日、改めて対談することは感慨深いです。

秋元 そもそもあの当時、お互いの仕事には直接関係のない坪田さんとお会いすること自体、結構、不思議なことだったのですよね。印象深いのは最初にお会いした時に、3時間ぐらい時間をいただいて、そのあと塾のほうへもお邪魔して、あそこもまた相当長い時間自己紹介し合っていましたね(笑)。 あの段階で言うとまだ本を書いていない坪田さんが、友達付き合いさせてもらってみるみるうちに、100万部作家になっていく過程みたいなのを、つぶさにずっと見せてもらった。本を出されて4年ほどの間に、まさに先に行かれてしまったという気持ちがずっとあったので、僕こそ同じステージに早く立ちたいと思っていましたよ(笑)。

坪田 僕が『ビリギャル』を書くきっかけになったのは、秋元さんの言葉なのです。
もちろん、主人公の母親から手紙をいただいたというのもありますが、その前段階で、G-netで秋元さんにお会いしたときに「僕はできない子と言われている子達をできるようにして自信を持たせたいんです。そういう子のために僕は塾やってるんです」という話をしたのです。その時に秋元さんに「それなら救えても1000~2000人じゃないですか」と、言われたのです。僕なりに目の前のことを一生懸命やって、世の中をもっと良くできるとは思っていたのですが、じゃあ、今これをもっとたくさんの人たちに伝えるためにはどうしたらいいのだろうと考えるようになりました。そこへさやかちゃんのお母さんからお礼のメールが来た。それで、ブログでもいいからこの経験をきちんと書いてみようと思ったのでした。
だから、僕は秋元さんにポンと背中を押してもらったという気がしています。

秋元 ありがとうございます。そんな話は初めてうかがいました。

坪田 初めてお会いしたときの秋元さんの言葉で、もうひとつ印象に残っているのは「日本一のワーキングプアを目指します」と、おっしゃったこと。その言葉のキャッチーさ、僕にバッと刺激をくれるすごい言葉を持っている人だなと思ったのです。それがこの『20代に伝えたい50のこと』という本にもまた、とても表れているなと思いました。