「自分で決める」ことの大事さ

「自分には能力がある」「自分が中心でありたい」と思えば思うほど、やる気はなくなる【秋元祥治×坪田信貴(前編)】秋元祥治(あきもと・しょうじ)
岡崎ビジネスサポートセンター・OKa-Biz センター長/NPO法人G-net理事(創業者)
1979年生まれ。大学在学中の2001年、21歳で地域活性化に取り組みたいとG-netを創業。
中小企業支援と若者をつなぐ長期実践型インターンシップ事業を立ち上げ、高校教科書「政治経済」に掲載されるなど高く評価されている。一方、中小企業支援をf-Biz・小出宗昭氏に師事。2013年よりOKa-Bizセンター長に就任。4年間で8000件を超える相談を受け、売上アップをサポート。3~4週間の相談待ちがでる人気の相談所となっている。経済産業省「キャリ教育アワード」優秀賞、「ものづくり日本大賞」優秀賞などを受賞。早稲田大学社会連携研究所招聘研究員・内閣府地域活性化伝道師。経済産業省「地域産業を創り出す33人の演出家たち」のうちの一人として、また雑誌「AERA」や書籍『社会起業家になる方法』では、日本の主な若手社会起業家の一人として紹介されている。

秋元 そういう受験のお話、あるいは仕事のキャリアも同じだと思いますが、坪田さんの本を読んでいてなるほどと思ったのが、やる気がなくなる二大原因というものです。「自分には能力がある」「自分が中心でありたいと思う」という二大原因が、やる気を失わせるのだと。
その二つは一見、やる気の源のように見えるけれど、結局、単一の価値基準なのですよね。自分には能力がある、つまり自分はできるはずだと思うと、やっぱりどこかで負けちゃう。とても苦しくなっちゃう。枠を外すという話もそこにつながるのだと思うのですが、多様な価値基準、いろんな選択肢の中で自分自身を認めていかないと、辛くなるし、周囲も辛い。

坪田 そうですね。秋元さんがこの本で言っているのは、「何か自分が好きなものを選びなさい」じゃなくて、むしろ「選ぶより、作りなさい」ということですよね。あなたにとっての答えというのは「選ぶものではなく、生み出して勝ち取るもの」なのだということを全編通じておっしゃっているのかなと。

秋元 そうですね、たぶん自分で決めるということが大事。あるいはある選択肢から選んだとしても、自らで決めて選んだと自覚することですね。

坪田 中学受験はまさにそうですね。つまり、子ども達は中学受験をしたいなんて思うはずがないんです。小学3~4年生ぐらいの子どもが「よし、僕、灘中へ行く」と言ったとしても、そこには親の洗脳があるわけで。小学校5~6年生の子たちの親御さんに聞くと「この子が自分から行くって言ったんです」と、必ず言うのです。これは親御さんたちも錯覚しているのです。途中で子どもたちが挫折しそうになると、親御さんは必ず「あんたが自分でやると言ったでしょ」と言う。言うわけねえだろ、という話なんですよ。だから僕は、中学受験の指導はやらないんです。

秋元 逆にマネジメントの立場から言うと、会社は社員にそういうふうに「選ばせる」ことができるわけですよね。

坪田 そうです。このある種の洗脳は、まさに会社が営業を課すときのやり方に似ていて。逆に言うと、だからこそすごく勉強したりもする。それで意外といい中学入ったりとかすると、ちょっとエリート感を持てちゃうし、そのままスムーズにいければ、別に悪いことじゃないのかも知れない。でもそれで落ちると、親御さんはどうなるかというと「母さんはこれだけ時間もお金も費やした。やりたいことを犠牲にして送り迎えとかしたのに」と言ってガッカリしてしまう。そうすると、子どもはできないヤツだと思われなくないから、勉強というものから逃げ出そうとする。また自分の人生の中心になれない。

秋元 僕が21歳で創業したGnetでは、大学生の実践型インターンのコーディネートをしてきました。今の中学受験の話を大学生のインターンの例に置き換えると、僕らは絶対に「やった方がいいよ」とは言わないんです。本人には「どうしたいか」、「何を目指したいか」という問いを投げかけるだけで、あくまでも本人に決めてもらう。そうして自分で決めたら、だいたい言い訳をしないんですよ。
ところが「絶対やった方がいいよ、インターン」と言われて始めるケースはどうでしょう。誰しも、何かをしてみて上手くいかないことはあるわけじゃないですか。その時に「これ、Aさんにやれって言われてやったんだよね。Aが悪いんだよ」みたいな、結局、他責になってしまう。それはセンター長をしている中小企業相談所の「OKa-Biz」でも同じで、具体的にこういうふうにして売り上げを上げるという知恵は出すのだけれども、やるかやらないかは本人に必ず決めてもらう。自分で決めるということ、それを「自分で決めていると自覚する」ことが、大事な気がしますね。

時間は有限であると実感すること

坪田 そうですよね。でもなぜ自分で決めないかというと、他人に任せるのって楽なんですよね、決めてもらうことって。

秋元 楽だと思っているのかな。

坪田 そう、楽だと思っているんですよね、きっとね。例えば学校や職場も、基本、時間割が決まっています。なので、その枠組みから結局選ばざるを得ないし、そうなった時に枠組みがもう決まっている以上、あとはいかに楽するかという。その時間も消費するという感じになってしまうと思うのですが、どう思われます?

秋元 与えられたものを「消費」するだけになるのは良くないですよね!本当は、選択肢はいっぱいあって、学生だって大人だって、例えばスマホがあれば、そのなかにいろんな選択肢があります。知りたいことについて学んでみる、調べてみる、参加する機会を探してみる。あるいはやりたいことや言いたいことをSNSやブログで言ってみる。できることがいっぱいあると思うのだけれど、そもそも自分にとって時間は有限なのです。けれども時間が有限であるというのが、特に20代だと実感が難しいじゃないですか。

坪田 そうですよね、たしかに。

秋元 時間って有限だと。ある日突然病気になるかも知れないし。親しい友人の恩田聖教さん(前・FC岐阜社長)は、前ぶれなく30代で難病ALSに罹患したり。僕はたまたま死ななかったけど、6年前に大きな交通事故にあいました。そんなのは、たぶんどこかで字面で昔から読んだこともあるし、聞いたこともあるとは思いますが、そういう身近な出来事が起きた時だけ、ふと思い出せるもので。 それは30代になったから20代に向けて書けることだったと思うのです。

坪田 本当にそうですよね。

秋元 20代の時って時間が無限な気がしたからこそ、そこの費用対効果感みたいな部分について考えにくかった。というのがもうひとつあると思う。気づいてみれば、1年間で何時間あるか、1週間で何時間あるか、普通は考えないですよね。それを考えてみると、生きるというのはその有限な時間をどこにどう分配するかだけ。
でも、20代では俯瞰はできない。俯瞰するという目線を知らないというのが、とても大きいポイントなんじゃないかなと思いました。時間は有限だということに気づけたところで、時間の投資、浪費、消費という観点が迫ってくるのかなと思いますね。

坪田 確かに時間は有限である、命が有限であると考えた瞬間に、行動って当然変わってきますよね。

(対談 中編 に続く)