「教師あり学習」は、読んで字のごとく、人が教師となってAIに学習させる方法で、特にAIの画像認識の向上に大きく寄与しました。
たとえば、AIに犬の画像を見せます。
そして、AIが「犬」と答えたら、AIに「正解」という情報をインプットします。
逆に、「猫」と答えたら、AIに「不正解」という情報をインプットします。
このように、人がAIに正解・不正解を教えながら、パラメータ(AIへの指示事項)を調整し、「AIをより賢くしていく学習方法」を「教師あり学習」と呼びます。
この「教師あり学習」は、画像認識のように正解・不正解が明白なときには有効な手段です。
「犬だけど、猫でもある」なんて解答はないわけですから、人が教えやすい分野です。
また、画像認識であれば、教師である「人」にも高度な知識は必要ありませんので、そうした意味でも「教師あり学習」との親和性が高い分野と言えるでしょう。
ところが、これが将棋や囲碁となると話はまったく変わります。
仮に、佐藤天彦名人に勝てるような将棋AIを「教師あり学習」で教育しようとしたら、教師である「人」が佐藤天彦名人に勝てるようでなければ、正解か不正解かをAIに教えることはできません。
同様に、イ・セドル九段より優秀な「人」が教師にならなければ、囲碁で勝つことはできません。
ところが、「人」という枠組みの中で見ると、佐藤天彦名人もイ・セドル九段も「最も優秀な人」ですので、AIが選んだ手が正解なのか不正解なのかは、「教師」にも判断がつきません。
このようなケースでは、「教師あり学習」ではAIをより強くすることはできません。
そして生み出された学習方法が「強化学習」、別名、「教師なし学習」です。