森嶋は留学前に読んだ報告書を思い起こそうとした。

 たしか、都心西部直下型地震が午後6時、風速15メートルのときに起これば、死者1万3000人、負傷者は20万人に及ぶ。経済損失は112兆円。国家予算のほぼ1・4倍だと記憶している。それを読んだときには、そんなものじゃないだろうと思った。

「今日、ハーバード時代の友人が来た。来週、アメリカの国務長官が総理に会うための事前協議のためだ」

「僕には関係ない」

「その地震に対する警告だと言ったら興味を示すか。アメリカでは日本政府の被害試算をもとにして、日本発世界大恐慌の可能性を危惧している」

「何を言ってるのか分からない」

「日本に100兆円を超す経済損失が出ると、世界経済にどんな影響が出るかという研究レポートがアメリカで作られた。それによると、日本発の経済危機が世界に広がり、世界経済は1929年の世界大恐慌の悪夢をまた見るだろうという結論だ」

「その経済損失の原因が東京直下型の地震だと言うのか」

「数兆円規模のギリシャ危機がEU全体を脅かし、世界に広がる様相を見せた。今度はそれが二桁大きい。あきらかに日本の経済危機は世界経済に影響をもたらす」

 高脇は考え込んだままで答えようとしない。

「なんとか言えよ。おまえは地震学者なんだろ」

「そう。経済学者じゃない。地震の影響は想像できるが、経済の影響までは分からない」

「世界中で失業者が増え、食料、水、エネルギー不足が始まり、暴動が起き、餓死者が何十万人、何百万人も出る。世界の各地で戦争も始まる。経済を立て直すには最も手っ取り早い方法だ。今や、アメリカもEU諸国もその経済危機を回避する力はない。中国やロシアだって同じだ」

 森嶋は次の言葉を探した。あまりに多すぎて、どれから話せばいいのか分からない。

「僕になにを望んでいる」

「上司を納得させたい。東京直下型の地震の起こる可能性を話してほしい」

「可能性じゃない。事実だ」

「じゃ、その事実をマスコミにもれる前に政府に話してくれ」

「誰も本気にしないだろ。きみだってそうだった」

「すでにヘッジファンドや格付け会社は動き出しているそうだ。なんとしてもパニックは避けたい。それには時間が必要だ。その間に、政府は対策を考え、準備する。なにを準備するかは聞いてくれるな。それは俺の役割じゃない」

 森嶋は一気にしゃべった。自分でも頭が混乱している。

「ではきみの役割は」

「パニックの回避だ」

 森嶋は自分でも驚くほどの強い意志を込めて言い切った。

(つづく)

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