「ヤクザですよ。今でこそ暴力団排除の流れで、前ほどその姿を見なくなったけど、あの頃は全盛期。一見してそれと分かる怖い人たちが、我が物顔でのし歩いていたの。私に近づいてきたのは、ショバ代徴収のため。最初は反発を覚えたけど、それがこの街で生きていくためのルールだと理解し、支払うことにしたんだ」(李)

 李は、まるで赤ん坊のような吸収力で、この街で生きる術を学んでいった。歌舞伎町の住人たちから“生きた日本語”を学び、自らの利になれば、ヤクザとも刑事ともうまく付き合った。李の最大の特長の一つである「しなやかなバランス感覚」は、この時代につくられたのだろう。

90年代は不良中国人が
跋扈する危険な街だった

 90年代前半、新宿歌舞伎町はいかにもガラの悪い“不良中国人”の巣窟だった。「上海グループvs北京グループ」「北京グループvs福建グループ」など、出身地ごとに徒党を組んだ中国人たちが、日夜勢力争いを繰り広げており、まるで映画のような血なまぐさい事件が多発した。

「あの頃、中国人絡みの殺傷事件が立て続けに起き、世間に『中国人は怖い』『歌舞伎町は危険な街』といったイメージが一気に広がったよね。特に、94年8月に起きた『快活林事件』の反響はすごかった。あの事件の後、『怪しい中国人を見かけたら110番』と書かれたポスターが警察によって作られ、都内のあちこちに貼られるようになったんだ。今なら大問題だけどね」

「快活林事件」とは、当時、区役所通り近くの路地裏にあった中華料理店「快活林」を拠点にしていた北京グループを敵対する上海グループが襲撃し、北京出身の中国人1人が殺害され、1人が重傷を負わされた事件のことだが、このとき使われた武器“青龍刀”のインパクトの強さもあって、日本中に一大センセーションを巻き起こしたのである。

「中国クラブやパブに配達する弁当販売の利権争いが、直接的な原因。弁当なんて金額的にはちっぽけな話だけど、当時の中国人にとっては死活問題。今とは比べものにならないほど貧しかったんだ。だから、ちょっとしたことですぐに血みどろの抗争に発展したのがあの時代。連日のように不良中国人による事件が、新聞の紙面を賑わせていた時代だよね。あの頃の歌舞伎町は、普通に歩いているだけで危ない雰囲気がいっぱい。そこが今とは大きな違いだよね」

 この頃から歌舞伎町の街には、中国人が経営する飲食店や、デートクラブやエステといった風俗店が雨後の筍のように林立するようになっていった。