「脱ウィンドウズ」で好転したマイクロソフト

 しかし、低迷していた株価は2014年2月にスティーブ・バルマーがCEOを退任し、後任にサティア・ナデラが就任すると、一転して好転することになる。

 もちろん、はっきりと好転するまでには就任から1~2年を要したが、その契機となったのはサティア・ナデラによる「脱ウィンドウズ」であった。

 2000年から2014年に至るまでのバルマー時代、マイクロソフトは、完全にウィンドウズ中心主義であり、すべてのビジネスがウィンドウズを中心に構築されていた。

 しかし、サティア・ナデラは、「ワード」「エクセル」「パワーポイント」といったアプリケーションソフトを提供する「オフィス」のプロダクトマネジメントチームにクラウド版を制作するように指示し、これをiPhone/iPadといったiOS上でも動作するようにしたのである。

 それはウィンドウズフォンの普及を行う上でも重要なことだった。しかし、サティア・ナデラはウィンドウズフォンのOSによってスマートフォン市場を押さえることではなく、オープンなアプリケーションであることで未来を掴みにいくことにしたのである。

 それまでのマイクロソフトは、自らの成功体験の原点であるウィンドウズを守ることにとにかく執着した。端末がなんであれ、ウィンドウズプラットフォームとしてOSを押さえることが、自ら生き残るための術(すべ)だと考えていた。

 しかし、サティア・ナデラはマイクロソフトの価値とはウィンドウズというOSではなく、オフィスのようなB2Bアプリケーションにあり、それをオープン化することで再び繁栄を迎えることができると考えたのである。

 この時期、既に「オフィス」の売上の多くが、ウィンドウズフォンではなく、アンドロイドやiOS向けになっており、サティア・ナデラの決断は大正解であった。