小林文乃 著(文藝春秋/1700円)
昨年、衛星放送のBSフジで「レニングラード 女神(ミューズ)が奏でた交響曲(シンフォニー)」というドキュメンタリー番組が放送された。その企画、プロデュースに関わっていた著者による本書は、まるでドキュメンタリーを文章化したような映像的な作品である。
本書は、主に三つの時代を行ったり来たりする。一つは1991年、著者が旧ソ連時代のモスクワに滞在したとき。二つ目は第2次世界大戦中の41年、レニングラードがナチス・ドイツによって完全包囲されたとき。そして三つ目は、現在のロシアである。
著者は10歳(91年夏)でTBSの番組の「子供特派員」として、旧ソ連時代のモスクワに滞在する。その間、コルホーズ(集団農場)でのホームステイを体験し、商品の乏しい市場も見てきた。日本に帰国直後にクーデターが起こり、旧ソ連は崩壊する。著者は、律義にも当時の日記を保管しており、本書でも所々でその記述が現れる。おませで観察眼の鋭い10歳の少女だった彼女は、2016年に再びロシアに向かう。第二の都市サンクトペテルブルク、かつてのレニングラードを訪れるためである。
第2次世界大戦中、レニングラードでは、100万人もの市民が餓死・凍死した。凄まじい数だ。まさに、「レニングラードは骨の上にできている」と言われる所以(ゆえん)である。ナチスに包囲されている間にも、人々はわずかなパンで飢えをしのぎながら、劇場へと足を運び、芝居やコンサートを観て勇気づけられていたという。
そんな中、作曲家のショスタコーヴィチ(1906~75年)は「交響曲第7番」、別名「レニングラード」を完成させる。41年9月のことだ。初演は42年8月。著者は、「レニングラード」の初演を実際に観たという96歳の老人にも会いに行く。その女性いわく、「交響曲の最後、そこには何かの光が見えてきました。希望……希望がそこにはあったのです。そして確認しました。私たちは絶対に勝利するだろうということを。この曲は私たちに希望を与えたのです」。
そして、現在のロシア。旧ソ連時代を知らない若者は、レーニン(1870~1924年)は正しかった、旧ソ連時代は物資が不足して貧しい生活だったかもしれないけれど、あくせく働かなくてよかった、今は格差社会で希望がない、昔の方がよかったという人も多い。彼らの中には、スターリン(1879~1953年)の独裁や粛清の歴史を知らない人もいる。
ショスタコーヴィチは「レニングラードは私の祖国です」と語った。旧ソ連の崩壊、今のロシアを泉下でどう思っているだろうか。
(選・評/A.T.カーニー株式会社 パートナー 吉川尚宏)