「秀吉人気」が過去のものになった理由
「秀吉が不人気になった理由は、今の若者にとって“立身出世”がリアルじゃないからかもしれません。彼らにとって、秀吉の天下人になったという“すごい”面は、なかなか共感しにくい。むしろ最近では、真田幸村や新選組など、敗者側のほうが人気です。
でも、秀吉の“やばい”面なら、リアルに感じられると思います。
信長が死んで天下をとったあと、秀吉は信長の姪の茶々を側室にします。秀吉の側室は全部で15人以上いたと言われていますが、子どもを生んだのは茶々だけでした。
茶々の生んだ秀頼は、秀吉にとって唯一の跡取りでした。秀吉は豊臣家の将来を心配するあまり、秀頼の邪魔になりそうな甥を家族ごと皆殺しにしたり、日本だけでなく中国・朝鮮をも征服しようと大名達に出兵させたりと、ありえないムチャぶりをして、家臣達に不信感を与えたまま病気で死んでしまいました。
結局、残された秀頼は豊臣家の権力を維持できず、家康に負けてしまうんですね。
成功は、するまでではなく、した後のほうが重要ということです」