超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!

第2章 逆張りの男(1)

前回まで]クールな美女・五反田富子と六本木の豪華パーティで再会したフリージャーナリストの有馬浩介。パーティには凄腕の個人投資家・城隆一郎も来場していた。数百億の資金を動かすという城への接近を試みる富子。一方、有馬の関心はそれとは別の人物に注がれていた──。

 エレベーターホールは牧口翔の御一行と、それを追いかけて来た熱心なセレブ連中でごった返していた。ホールの最奥、地下までノンストップの高速エレベーターの扉が開く。どっと熱が動き、押すな、倒れる、と怒声が上がり、屈強なボディガード連中と、入れろ、入れない、の口論が始まり、激しい揉み合いに突入する。小柄な牧口翔は側近たちに囲まれ、エレベーター内に消えた。

 あいつはどこだ? 有馬はエレベーターホールをぐるりと見回す。いた。手前の扉の前に佇む男。ホールの喧騒など耳に入らないかのように、じっとデジタル表示をにらんでいる。扉が開く。

 有馬は男の背後からそっと乗り込む。だだっ広いシルク張りの箱にふたりきり。1階まで降りる間、さりげなく横顔をチェックする。

 セレブの城隆一郎と、冴えない中年男。両極端のふたり。なにかある。富子はターゲットの城しか見えていない。しかし、元新聞記者の自分は違う。城は数百億の資金を動かす凄腕投資家だという。そんな大物がなぜ、この平凡なおっさんと密談を交わす?しかも、おっさんは最後、果敢にも城につっかかっていた。かすかに聞こえたあの言葉──おまえのことを見込んでわざわざ──。

 けっして女がらみじゃない。ふたりの接点はなんだ?

 有馬は尾行を決めた。つまらない屈辱の一日が一転、刺激的な夜に変わるかもしれない。もとより、誤算続きのダメ人生だ。失うものは何もない。時にはこんなおかしな夜があってもいい。

 午後7時50分。タワービルを出た中年男は地下鉄日比谷線を使い、霞ケ関へ。丸ノ内線に乗り換え、池袋に到着。人の波がうねる改札を出て東武東上線へ。川越方面の電車で池袋から三つ目の駅。午後8時35分、板橋区の大山駅で下車する。

 小さな改札を出た男は、警報機が鳴る踏切を背に、にぎやかなアーケード商店街へと入る。

 生鮮食料品店や各種商店、洋食屋、飲み屋、パチンコホールが軒を連ね、アーケードの天井のスピーカーからは古い歌謡曲が流れる、昭和の香りが濃厚な商店街だ。しかし、通りの中央を闊歩する中国人や中東系の若者グループが、いまは平成の末期だと教えてくれる。

 男は和菓子屋の前で立ち止まり、5秒ほど躊躇した後、ガラス戸を引き開ける。有馬はスマホを取り出し、チェックするふりをしながら観察する。みたらし団子を30本ほど購入。1000円札2枚で代金を払い、お釣りを受け取って出てくる。ずっしりと重そうなポリ袋をぶらさげて歩く。

 男はアーケードを300メートルほど歩き、突然、雑踏にまぎれるようにして消えた。尾行がばれたか? 有馬はダッシュする。心臓がはね、どっと冷や汗が噴き出す。

 左手の八百屋の角。路地があった。赤提灯と電飾看板が灯る飲み屋街。焼き鳥屋に居酒屋、ホルモン屋、焼肉屋、立ち呑みバー。いた。脇目も振らず、路地を歩いていく。有馬は駆けた。酔客の談笑が漏れ、タレの焦げる匂いが漂う。男は飲み屋街を抜け、区立小学校の手前、右手の古い雑居ビルに入る。1階がシャッターの下りたパソコン教室。2階が学習塾。

 蛍光灯が灯る部屋のガラス窓にデカデカと《進学・個別指導『黎明舎』明日を信じる学習塾 意欲のある小中高生、いつでも大歓迎!来たれ、日本の希望の星たち》と記してある。3階は旅行会社。ブラインドが下りた窓が暗い。無人だろう。ならば明かりの灯る2階か。

 改めて、ガラス窓のユニークな宣伝文句を見る。熱心なのか、ヤケクソか、有馬にはわからなかった。自前のビルを持つ全国区の大規模塾ならともかく、小学生から高校生まで、幅広く対象にした町のちっぽけな学習塾など、聞いたことがない。1階横の階段を昇る。見咎められたら、塾を志望する小学生の親、とでも言えばいい。己の年格好からしてなんの不思議もない。

 有馬は2階のドア前に立つ。上半分がガラスのドアだ。

 そっとのぞいてみる。机の上にみたらし団子を並べ、生徒たちが思い思いにほおばっていた。その数、20人あまり。小学生から高校生まで、まんべんなくいるようだ。東南アジア系、とおぼしき生徒もいる。大学生風のふたりは講師だろうか。生徒たちにみたらし団子の残りを勧めている。

 中年男は──いた。黒板前の椅子に座り、教壇の上の机にほおづえをついて柔らかな笑みを浮かべ、生徒たちを眺めている。さっきまでの沈痛な色はきれいに消え、温厚そのものだ。

 ひょうどうせんせーい、と小学校高学年らしい女の子がみたらし団子を手に駆け寄る。男は、ありがとう、と受け取り、笑顔でぱくつく。

 ひょうどうせんせい、ねえ。有馬は踵を返し、階段を降りる。30分ほどかけて周囲の聞き込みをやってみた。

 兵頭圭吾、年齢はおそらく40代半ば。学習塾『黎明舎』をここ大山の地に開いて10年あまり。その形態は少々特殊で、対象は経済的に恵まれない家庭の子弟。つまり貧困層の子どもだ。月謝は5000円。経営者兼塾長、兵頭の方針で、遅延は大目に見るという。

 教室はここ大山のみ。授業は午後3時から10時。その間、生徒は出入り自由。小学生から高校生まで、塾長の兵頭を中心に、大学生のアルバイト講師が各人のレベルにあった指導を行うらしい。当然、体系立った受験対策などは望むべくもなく、学校の授業についていけるだけの基礎学力養成が目的という。もっとも、地元では名の知られた塾で、なかには発奮して猛勉強に励み、難関の国立大学に入学したケースもあるとか。型にとらわれない自由な授業が子どものやる気を引き出している、ともっぱらの評判である。

 午後9時30分。有馬は足で稼いだ生のデータを胸に、酔漢が目立ち始めた街を後にした。

(続く)