容疑者11人起訴も謎は深い
中東不安定化の「前兆」

 サウジ側の説明は二転三転した。当初は事件自体を否定したものの、最終的にカショギ氏殺害に関与した18人を「拘束・取り調べ中」とし、11月15日、サウジの検察当局は、容疑者ら11人を起訴しうち5人に死刑を求刑すると発表した。だが、全貌は見えないままだ。

 衝撃的な事件だけに、欧米や日本のメディアも「真相」解明に懸命だが、中東地域を専門にしてきた筆者には、しっくりしないところも少なくない。

 そもそも、被害者のジャーナリストの名前の伝え方からしてひっかかるところがある。日本ではジャマール・カショギ氏、CNNニュースでも当初はKhashoggi「カショーギ」と呼んでいた。だがいずれも正確ではない。

 Khashoggiとは同氏が使った英語名に過ぎず、アラビア語ではカショーギではなく、Khaashuqjii(ヵハー・シュク・ジー)と発音するからだ。

 姓がヵハー・シュク・ジーとなれば、これはアラブ姓ではない。そう、ジャマール氏の祖父はトルコ系で、サウジ人女性と結婚後にサウジ初代国王の主治医となった人物だ。

 ジャマール氏は、ムハンマド皇太子の強権的な体制を批判はしていたが、王政に対する「反体制派」ではなく、サウジ王族に近いエスタブリシュメントの一員だ。「英語」経由の中東の理解だから、こんな誤解が生まれるのだろう。

 だが、同事件の本質は、実権を握ったムハンマド皇太子に対するサウジ王室内の反発や、サウド王室周辺の「裏切り者への復讐劇」というよりは、むしろ今後の中東の不安定を暗示する前兆と見るべきだ。

イラン台頭で
サウジなどと力のバランス変化

 7世紀のイスラム時代以降の中東史を振り返ると、興味深い事実が浮かび上がる。

 中東といえばアラブ諸国のイメージがあるが、特に、メソポタミアからパレスチナの「肥沃な三日月地帯」とペルシャ湾岸地域は、必ずしもアラブ人ではなく、むしろトルコ人(オスマン帝国)やイラン人(ペルシャ帝国)が支配した期間の方が長いのだ。

 アラブ人が劣っているとは言わないが、近代以降の中東の主役は、トルコ、ペルシャとこの地に石油利権確保などを狙って進出した欧米だった。