現在の「肥沃な三日月地帯」各国の国境は、20世紀初めに英仏が中心となり、旧オスマン帝国の支配地を現在のシリア、イラクなどへの分割を決めたサイクス・ピコ協定(1916年)や、パレスチナへのユダヤ人国家建設を認めたバルフォア宣言(1917年)、アラブ国家独立を約束したフサイン=マクマホン協定(1915年)により、確定されたものだ。

 20世紀に入り旧オスマン朝中東部分の領土が崩壊し、一方でアラブ人の民族意識が高まる中、英仏は、ヨーロッパ型国民国家を樹立して地域の安定を保とうとした。これが今のイラク、シリア、レバノン、ヨルダンなどの起源である。

 第二次世界大戦後、中東湾岸地域の安全保障を維持したのは、地域の3大大国であるイラン、イラクとサウジアラビア間の微妙なバランスだったが、1978年までの中東湾岸世界は実に単純だった。

 米国との親密関係を背景にイランのシャーが地域の「警察官」となり、同じく親米国であるサウジと共に、問題児「イラク」を事実上、封じ込めていたからだ。

 ところが、1978~79年の、「イラン革命」によるイラン・イスラム共和制誕生は従来の政治軍事バランスを激変させた。

 その後、旧ソ連がアフガニスタンに侵攻し、イラクのフセイン大統領はイラン・イラク戦争を始めた。これら一連の地殻変動により、従来の米国の対湾岸政策は根本的見直しを迫られた。

 これが1980年以降、米国が新たに中東地域に展開する地域軍(中央軍)の創設に向け準備を始めた理由である。

 当初は小規模の「緊急展開部隊」から始まり、80代末までに中央軍とその司令部が米国の独立地域軍として機能し始めた。フセインがクウェートに侵攻したのはその直後のことだ。

 それ以来、米軍は湾岸地域に本格的駐留を始め、そのプレゼンスは2001年の同時多発テロ事件を経て、飛躍的に強化された。当時の米軍の影響力は文字通り圧倒的だったのだ。

米軍のプレゼンス低下
イスラム至上主義、強まる

 ところがオバマ政権以降、地域の米軍プレゼンスに陰りが見え始める。

 2011年12月にイラクから戦闘部隊を撤退させたオバマ大統領の決定は、逆にイラク内戦を激化させた。