百福さんとの波乱万丈の
二人三脚人生

 安藤仁子(まさこ)さんは1917年8月生まれ、「ナインコード」は「大地の二黒」です(→どんな人も9タイプに分かれるナインコードは本書参照)。

 二黒の性質と言えば、母なる大地のように人々に優しさと愛を提供する人でした。

大地はすべてを受け入れます。
光も、雨も、雪も。そして、動植物を分け隔てなく養います。
そう、生命体すべてに対する優しさと愛、慈しみと愛を持つ人が二黒なのです。

 仁子さんの送った安藤百福さんとの二人三脚の人生は、まさに波乱万丈ともいえる浮き沈みのはげしい人生でした。

夫の百福さんは「火の九紫」です。
 情熱の塊のような人で、戦後の激動期の中、次々と事業を起こしていきますが、当初は順風満帆とはいかず、心配のタネも多かったはず。

 生活面でも、百福さんの先妻の子も含めて3人の子の母として仁子さんも大変な思いをされたことでしょうし、こうしたご労苦の重さは想像もできません。

 ちなみに、インスタントラーメン(チキンラーメン)発明までのおもな出来事は次のようなものです。

・夫の百福さんとは終戦の年、1945(昭和20)年3月に結婚
・戦後の1947年、大阪の泉大津で製塩業開始
・同じく1947年、名古屋に交通技術学校開設
・1948年、国民栄養科学研究所設立。栄養食品の開発開始
・1948年、百福さんGHQに逮捕される(脱税容疑)。財産没収と巣鴨プリズンへの収監(収監期間は2年間におよぶ。結局は無罪釈放)
・1951年、百福さん、信用組合の理事長に就任
・1957年、百福さんが理事長をしていた信用組合が倒産(全財産消滅)
・1957年、百福さんが引っ越し先でインスタントラーメン開発に着手

 百福さんがGHQに逮捕されたのは仁子さんが31歳のとき。
 そして、信用組合が倒産した時は40歳のときです。
 仁子さんにとって大変な10年間でしたが、こんな荒波に堪え得た力はどこにあったのでしょうか?