「日清」誕生の影の大恩人、
慈愛に満ちた仁子さんの二黒の心

 二黒の人は思いを直接口にせず、心にとどめておく性質があります。
 謙虚でひかえめ、自分よりまず人、自分よりまず夫、というように「人を思う」のが先です。

 仁子さんは波乱に富んだ夫・百福さんが心配で、いつしか信仰の道に入ります。
 近畿各地の霊場を巡礼する中で、仁子さんが本来持っていたやさしさや寛大さ、おおらかさがさらに“慈愛”へと高まっていきます。

 日清食品の新しい工場ができたとき、仁子さんは観音様を安全祈願のために祀り、社員やその家族の平穏を願っての毎月の定期的なお参りも欠かさなかったそうです。

 そんな仁子さんに対して、仕事一筋だった夫・百福さんも晩年、仁子さんの愛にちょっとしたお返しをします。
 ある年の結婚記念日にゴルフの予定を入れて出かけてしまった百福さん。

《夕方、ゴルフから帰って、鯛とケーキ、しゃぶしゃぶの肉、豚の三層肉、私へのお祝いとのこと。驚きました。実に出会ってから四十九年目、初めてでした》
安藤百福発明記念館編『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(中央公論新社)

 サプライズにしてはちょっと時間がかかりすぎましたが、クジラのごときなにごとも飲み込む仁子さんにとっては、百福さんの思いそのものが何よりの贈り物だったことでしょう。

 幼少時だけでなく、百福さんと結婚してからも波乱万丈で、実に多事多難な人生を歩んだ仁子さん。
 百福さんの正妻の子も我が子同様分け隔てなく育て上げ、母として、経営者の妻として、明るく前向きに生きてきました。
 こんな仁子さんに、二黒女性の生き方そのものを見るようです。

 そして、インスタントラーメンという、日本の、いや世界の“新しい食文化の創造”に貢献した影の恩人に、感謝の気持ちでいっぱいです。

中野 博(Hiroshi Nakano)
信和義塾大學校創設者兼塾長、経営コンサルタント
早稲田大学商学部卒業。ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院ブランディング実践講座エグゼグティブコースを修める。ハーバードビジネススクールでは経営学を学ぶ(いずれも短期集中型の経営者クラス)。1992年、地球サミットに国連認定ジャーナリストとして参加したことを契機に環境ジャーナリストとして活動。1997年の地球温暖化防止京都会議を機に、株式会社エコライフ研究所設立。環境ジャーナリストとしての取材・分析力と経営コンサルタントとしての提案力をベースに、800社以上を環境ビジネスに参入させ成果を挙げる。その傍ら、住宅、環境を軸にした本を多数出版(本書が30冊目)。講演依頼も多く、国内外で2000回以上の実績。2005年、教育研修会社の株式会社ゴクーを設立。1万人のサンプリングを体系化した『9code(ナインコード)』をもとに、信和義塾大學校で指導にあたるほか、企業や各種組織で『9code』を利用したコンサルティングや人材活用研修も多い。現在、信和義塾大學校は、世界6ヵ国20都市以上にあり、塾生は700名超。