いじめの加害者がたった1本の献花を恐れる理由

 いじめに関する著作を複数持つ、社会学者の内藤朝雄氏の『いじめの構造』には、加害者側の生徒が、クラスの空気を読みながらいじめを始める様子が描かれています。

 そして、加害者の生徒たちは、亡くなったA君がいなくても何も変わらないと強弁します。しかし、あるクラスメートがA君の机に花を飾ろうとしたとき、加害者の生徒たちは反応します。

 ある生徒は、教室でA君の机に花を飾ろうとしたクラスメートを「おまえは関係ないやん」と追い返した(*5)。

 A君を自殺に追いやったいじめの加害生徒たちは、なぜ1本の献花を嫌がったのでしょうか。A君の机に花が置かれることで、A君が二度と戻らないこと、重大な犯罪が行われてしまったこと、A君が亡くなった悲しみがクラスに広がるからです。

 改めて、情況倫理について整理してみましょう。

「情況」=特定の物の見方
「情況倫理」=物の見方に影響を受ける倫理

 献花でA君が亡くなったことが意識され、クラスが悲しみに包まれると、生徒たちの「物の見方」が変化します。すると、加害生徒の犯罪の重大さが認識されるのです。

 加害者たちは、A君の自殺を知らされた後でも、「死んでせいせいした」「別にあいつがおらんでも、何も変わらんもんね」「おれ、のろわれるかもしれん」などとふざけて話していた(*6)。

 クラスの情況(物の見方)が変われば、過去の空気は一瞬で崩壊します。上の言葉は、加害者がクラスの“情況”の変化を恐れていることを暗示しています。同時に加害生徒たちの驚くほどの狡猾さ、ずる賢さも示唆していると言えるでしょう。

*5 内藤朝雄『いじめの構造』(講談社現代新書)P.20
*6 『いじめの構造』P.20