日本では論理的に議論をしていても、なぜか次第に「空気」が生まれ、それに支配されてしまう。なぜいつの間にか「前提」が生まれてしまうのか。不祥事や悲劇は、なぜこの空気から始まるのか。15万部のベストセラー『「超」入門 失敗の本質』の著者・鈴木博毅氏が、40年読み継がれる日本人論の決定版、山本七平氏の『「空気」の研究』をわかりやすく読み解く新刊『「超」入門 空気の研究』から、内容の一部を特別公開する。
論理的な議論がいつの間にか空気に支配される謎
山本七平氏は、日本には「論理的判断」の規準と「空気的判断」の基準という二つの基準があり、それは複雑に絡み合っていると書いています。
二つの基準は、そう截然と分かれていない。ある種の論理的判断の積み重ねが空気的判断の基準を醸成していくという形で、両者は、一体となっているからである(*1)。
論理的に議論をしていくと、いつの間にか空気が醸成されてしまう不思議。合理的に議論をしていても、なぜか次第に空気が生まれて支配されてしまう。このように、論理や合理性が「前提」にすり替えられてしまう不思議な現象は、一体なぜ起きるのでしょうか。
あれもダメ、これもダメから「前提」が固まり出す
次の一文を読み替えてみると、その謎が解けてきます。
議論における言葉の交換それ自体が一種の「空気」を醸成していき、最終的にはその「空気」が決断の基準となるという形をとっている場合が多いからである(*2)。
上記の山本氏の文章で「空気=前提」と置き換えてみましょう。
議論における言葉の交換それ自体が一種の「前提」を醸成していき、最終的にはそ
の「前提」が決断の基準となるという形をとっている場合が多いからである。
会議の最初の段階では、それぞれ自由な意見を出し合って、議論の方向性を決めることが多いものです。しかしA、B、Cなどの可能性を誰かが発言しても、それはダメ、これも不可能となると、会議の参加者の意見や構想の「前提」が固まり始めます。
積極的な議論、例えばどのような新規事業に投資するかといった話し合いでは、自社の現状や強みなどを基に、成功可能性の高い分野は○○であろう、という前提が形成されます。前提は、合理的な視点で発言された言葉でも組み上がるのです。
ネガティブな問題の議論でも、言葉の交換はある種の前提(空気)を醸成します。
「この不祥事は業績が悪い今期には発表できない」「内々に問題を片付ける必要性」などの意見が出て、議論の参加者の前提として醸成されてしまうと、健全で遵法的な対処ができなくなります。
あれもダメ、これもダメという議論により、次第に他の可能性が閉ざされて、特定の方向、特定の結論以外に選ぶ道がないという空気(前提)が醸成されるのです。
*1 山本七平『「空気」の研究』(文春文庫) P.22~23
*2 『「空気」の研究』 P.23